「第九」の歌詞は何を訴えているのか。

◆オーチャードホールで第九を演っていましたね。

 

 キー局がテレビ東京なので、日本中では一体どれぐらいの人が見ることが出来たのか、或いは見たのかわからない。

  毎年、東京・渋谷のオーチャードホールでテレ東企画(実際には番組製作会社企画だろうが)のシルベスターコンサートが行われ、生中継される。

 このコンサートの目玉は「カウントダウン」と称して、演奏時間が15分程度の曲を演奏し、

 その最後の音が、丁度、元旦の0時0分0秒に終わるようにするのである。



 演奏者、特に指揮者にとっては、嫌な企画だろう。

音楽そのもの以外の事に異常に神経を使わなければならないからである。

 音楽は、途中で拍子が変らなければ、一小節の拍数は決まっていて、

 一曲の小節数は、頭から数える必要は無く、楽譜の所々に何小節目かがかいてあるので、容易に知ることが出来る。

 従って、その曲全体が、合計何拍であるかを算出し、演奏時間を決めれば、演奏時間を拍数で割ることにより、

 一拍あたり何秒で振ればよいか計算できる(普通はテンポはメトロノーム速度、

 即ち一分間に四分音符を80個のテンポで演奏せよ、という形式で指定される)。



 しかし、それは、理屈であって、クラシックの曲を最初から最後まで、歌謡曲のように、

 同じテンポで演奏すると云うことはあり得ない。

 あるところでは、遅くなり、そうしたら、演奏終了を何としても午前0時丁度にするためには、

 どこかでその分を取り戻すべく、テンポを上げなければならないが、コンピューターじゃないから、

 そこは指揮者の勘を頼りにするしかない。


◆絶対テンポ感

 

 そんな言葉はないのだが、現実には、指揮者になるような人は、この能力がないとやっていけないと思う。

 適切なテンポを設定するのは、指揮者の一番最初のしかし、非常に大切な役割である。



 指揮者の岩城宏之さんは、時計を用いないで、正確に1分間を測ることができるという。

 今日、オーチャードホールのジルベスターコンサートでは、

 何とベートーベンの交響曲第九番の第4楽章で「カウントダウン」を行ったわけである。

 指揮者は、私が子供の頃サインを貰った、「コバケン」こと、小林研一郎氏で、見事に成功を収めた。

 最後の合唱の部分が終わると、すごいアッチェレランド(段々早く、の意。逆がリタルダンド「段々遅く」だ)をかけて、

 聴いているこちらも、間に合うかどうか冷汗をかいたが、ドンピシャリであった。


◆第九の歌詞はシラーの詩からとったものだ。

 

 シラーの詩をベートーベンが用いたことや、

 一番最初のバリトン・ソロ、

 「オー、フロインデ。ニヒト・ディーゼ・テーネ」は、英語にすれば、

 “Oh,my friends! Not such a tone”(おお、友よ。このような音ではなく・・・)

 で始まる事は知っているが、最後まで逐語的にドイツ語の歌詞を理解している人は少ない。

 実は私も大雑把にしか分からぬ。



 だが、要するに、「人類愛」、つまり人類は皆兄弟なのだ、という事を強く訴えている。

 この詩を理解したからといって、国際紛争が無くなるような単純な世の中ではないことは百も承知だが、

 シラーの言葉は、理想としては高邁(気高く、すぐれていること)である。

 そこで、この詩を刻んで、平和を祈念しつつ、本年の日記を結びたい。


◆第九の歌詞の意訳。

 

 実際の音楽では、同じ部分がソロで歌われた後、合唱で歌われるなど、繰り返しが多いが、

 あの15分間で歌われているのは、以下の通りである。

 

 おお、友よ! このような調べではない!

 そんな調べより、もっと心地よく歌い始めよう、喜びに満ちて。

 歓喜よ、美しき神々の煌めきよ、

 エリジウム(楽土)から来た娘よ、

 我等は炎のような情熱に酔って

 天空の彼方、貴方の聖地に踏み入る!



 一人の友人を得るという

 大きな賭けに成功した者よ、一人の優しい妻を努めて得た者よ、

 その歓びの声を一つに混ぜよ!

 そう、この地球上でただ1人の(一つの心と呼ばれる)者も!

 そして、それが出来なかった者は、この集まりから涙を流してひっそりと去る。



 全ての生物は、

 自然の乳房より歓喜を飲む。

 そして、善きもの、悪しきものも全て薔薇色の跡を付けていく。



 歓喜は我等に口づけと葡萄、そして死の試練にある一人の友を与えた。

 官能的な快楽は虫けらに与えられ、そしてケルブ(智天使)は神の御前に立つ!



 喜ばしきかな、太陽が壮大なる天の計画に従って飛ぶが如く、

 兄弟達が己〔おの〕が道を駆け抜ける、勝利に向かう英雄のように喜ばしく。

 抱〔いだ〕かれよ、数多〔あまた〕の者よ! この口づけを全世界へ!



 兄弟達よ!星空の彼方に 愛する父(なる神)がおられるはずだ。

 地にひれ伏さぬのか? 数多の者よ。 創造主(の存在)を感じるか? 世界よ。

 星空の彼方に求めよ! 星々の彼方に彼の御方(神)がおられるはずだ。


by j6ngt | 2005-12-31 19:19 | 音楽


<< 「ウィーン・フィル、ニューイヤ... 日本は、外国に誘拐された一般人... >>