123便にまつわること。コクピットクルーのお子さんたち。

◆昨日、書き忘れたこと。コクピットクルーのお子さんたち。

 

私にとって、123便墜落事故の重みはあまりにも大きく、1年に1回、8月12日にだけ、「ああ、そういえば今日が『あの日』だったよなあ。」で済ませることが出来ぬ。

だから、続けて、書く。

 昨日、放送された、TBSの「ボイスレコーダー」では取り上げられていたが、高浜機長のご令嬢は、なんと、今で言うCA,つまりスチュワーデスになったのだった。

 これは、当時、新聞に載ったと記憶している。

 あの記事を読んだとき、私は、暫く、動けなかった。

 母君はさぞや反対なさりたかっただろうが、ご本人の「お父さんと同じ空を飛びたい」という気持ちに、感動した。

 更に、驚いたのは、123便の他のコクピットクルー(運航乗務員)、すなわち、佐々木副操縦士、福田航空機関士のご子息は、2人ともパイロットになったという事実を知ったときである。

 「執念」、という二文字が頭をよぎった。



 パイロットや、鉄道運転士など大量輸送機関の操縦に携わる人々は、よく言われるように、「人の命を預かっている」。

 その責任は岩のように重い。

 「乗客は私の命だ。どんなことがあっても守ってみせる」というパイロットの手記を読んだことがある。

 それぐらいの覚悟、使命感が必要な仕事なのだ。



 ところが、残念なことに、日航123便のクルーたちは、それを全う出来なかった。

 自らの生命が失われることよりも、「乗客を目的地まで安全に送ることができなかった」無念、は、私の如き素人の想像を遙かに超えるものだったに違いない。

 しかし、娘、息子達は、その無念さが分かったのだろう。

 パイロットの子供だからである。

 だから、自分たちが一生、安全な飛行を続けることにより、父の果たせなかった夢を受け継ぎたい、父の無念を晴らしたい、と思ったのだろう。

 パイロットに関して言えば、あの仕事はなろうと思ってなれるものではない。

 肉体的な条件や適性がかなり厳密に吟味され、高度な知能と、運動神経がなければ、そもそも、訓練生になれない。

 だが、2人とも、パイロットになった。やはり、「執念」であろう。

 私は、立派だと思った。目頭が熱くなった。


◆無論、乗客の遺族のことを忘れてはいけない。 

 

 遺族の方が作ったおすたかレクイエムというサイトがあるのは、ご存じだろうか?

 悲しいが、私は、こういうものを避けてはいけないと思うのだ。

 最近、遺族会が出版した、過去20年の家族の思いの集大成とでも言ったら良いのだろうか、 茜雲―総集編という本がある。つい最近出版されたばかりだ。

 読んだら、辛いだろうと思う。が、読まなければいけない。 

 そう考えたので、私は、この本の注文を出した。


by j6ngt | 2005-08-14 00:22 | 航空機事故


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