やや、easiness(安易さ)に傾きすぎている日本。

◆教育テレビ「趣味悠々 かんたんピアノレッスン」を見て思う

 

 世の中、色々道具が出来たり、便利なシステムが出来たりして、良いこともあるが、最近の日本を見ていると、何事もあまりにも簡単に済ませたり、簡単に諦めて容易な選択をする風潮があるように思える。

 世間が、所謂「専門バカ」(自分の専門領域にしか関心を示さず、他のことは一切お構いなし、という人)だらけになっても困る。

 しかし、一方で、人間があることを身につけようとするときは、基礎から時間をかけて、相当のエネルギーを意識的に、集中的に注がなければ、ものにならないという事柄も多く存在することは間違いがない。



 NHK教育テレビで毎週水曜日の夜に、中年から(失礼ながら)初老にかけての、一般人(素人)で、生まれて初めて楽譜に接し、ピアノの鍵盤に触れる、というおじさんたちが、僅か3ヶ月で、ビリー・ジョエルの「Honesty」(うんと易しく編曲したものとはいえ、とりあえず、両手で別の動きをする、つまり、かりそめにも「ピアノ音楽」)を弾きこなせるようになろうというのだ。

 なんと、最終回には、スタジオで(と言うことは、全国に放送されるのだから、いくら教育テレビの低視聴率の番組とはいえ、数万人の前で)発表会(子供の街のピアノ教室で言うところの「おさらい会」ですね)をやろう。というのだが、はっきり言って、無責任な企画だと思う。


◆だって、オタマジャクシが全く読めない人が・・・・。

 

 物事には、順序がある。

  ピアノを弾くのにも、最低必要とされる知識がある。

 この番組における、「生徒」のおじさん達はドレミファソラシドが分からない状態だったのだ。いまでもあまり分かっていない。

  ドレミファソラシドがそれぞれ、どの鍵盤に相対しているか。ドレミファソラシドは楽譜ではどのように書き表されるのか(右手のト音記号と左手のヘ音記号では位置が異なる)。

  このようなことを、まずは、覚えていくら退屈でも、暫くは単調な練習をしなければならない。

 「急がば回れ」という。これを身につけないことには、どうしようもない。これは、精神論ではない。

  例えば、「バイエル」の最初のほうでは、何度も同じようなことを繰り返す。
 「ドミドミ・ソドドド・レレレレ・ミミミミ」と右手で弾き、左は、「ドー・ドー・ドー・ドー」とやっている。如何にも音楽的には幼稚である。

  しかしながら、これまで動かしたことのない指の動きをマスターするには、こういうことから始めるしかない。


◆天才でない限り、3ヶ月では曲は弾けない

 

 厳密に言えば、“Honesty”の「超イージー編曲版」は弾けるようになる人がいるだろう。

 しかし、それ以外の曲は弾けないだろう。 また、ゼロからやり直しだ。

 基礎が無いということは、そういうことだ。


◆大人だって、基礎からやっても間に合う。プロにはなれんがね。

 

 大人になってからピアノを習い始めて弾けるようになるかと問われても、一概には答えられない。

 はっきり言えば、かなりの程度は才能に依存する。いくらやっても、無駄、と言う人もいる。

 やってみなければ分からぬ。

 大人とは言えないが、本当にあった話。

 高校生になってから、ピアノを習い始めて、音楽大学(音大と言ってもピンからキリまであるが、割と有名なところ)に入ってしまった子がいる。

 これですら、目の玉が飛び出るほどの「奇跡」なのである。そういうこともごく稀にはある。


 中年から初めてピアノに接して、プロになるのは、ほぼ100%、不可能である。

 だが、別にプロ並に上手くならなくても、十分に楽しめる音楽的な作品は沢山ある。
 基礎から真面目に繰り返しを厭わず、「継続は力なり」を信じて、バイエルや音階練習を続ければ(ここで大切なのは、短気を起こして、或いは見栄を張って、すぐに速いテンポで弾かないことだ)、ソナチネや、バッハの2声のインヴェンション、3声のシンフォニアなどは弾けるようになる。

 バカにしてはいけない。これらは、プロのピアニストですらCDに録音する、れっきとした演奏会用の曲なのだ。

 楽器の練習とは本来そういうものだ。


◆難しいものは難しいのだ。

 

 ここまで読まれた方の中には、「まあ、堅いことを言いなさんな。Honestyしか弾けなくても、本人が楽しければいいじゃないか」と思った方もおられよう。

 そういう方は、来週の水曜日の教育テレビ「趣味悠々」をご覧なさい。3人の中年男性の表情の何と暗いこと。気の毒なほどだ。

 要するに、何にも身に付いていないのである。

 九九を覚えないまま高校生になって微積分の授業を聞いているような気分だろうと思う。

 「簡単ピアノレッスン」という副題がついているが、3ヶ月で人前で曲を弾けるまでになろうなどという「いい加減」なことをすると、却って辛いのである。

 最後の発表会では、恐らくあがりまくって、曲が止まってしまい(音楽演奏中の事故で「止まる」ことより大きな事故はあり得ない)、もう何が何だか分からなくなり、ピアノなど二度と見たくもない、ということになりかねない。痛々しい。

 難しいものは難しいのだ。難しいことをごまかして、簡単だと言ってはいけない。

 難しいことを、練習して、薄皮をはがすようにではあるが上達していくのが、本来の楽しさである。

 電子オルガンなどで、キーを押さえているだけで、楽器が一曲勝手に弾いてくれる、という商品がある。

 易しいには違いない。しかし、全然面白くは無いだろう。

 私はやらないが、テレビゲームだってそうだろ?簡単にクリアできるのは面白くないだろ?

 難しいのをクリアした方が達成感があるだろ?

 テレビゲームと楽器の習得とは次元が違うが、感覚としては、まあ、そういうことだよ。


◆一つのテレビ番組が日本の全てを象徴しているとは言わないが、

 

 ある程度は象徴している、と感じるのである。

 何でも、簡単に済ませようとすること。

 少し困難に出遭うと諦める。嫌になって止めてしまう。努力をしない。

 そういう心理的傾向が、色々な社会の「たるみ」として現れているように、思われる。


by j6ngt | 2005-08-04 01:08 | 芸術


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