高松宮妃喜久子様、ご逝去。「最後の将軍」の孫、「高松宮日記」を積極的に公開。

◆高松宮日記の逸話。

 高松宮妃喜久子さまは高松宮さまの奥様で、最後の将軍、徳川慶喜のお孫さんだ。並の人ではないのだ。それは、単に身分が高いからだけではない。

夫君である高松宮さまは昭和天皇の弟宮である。

随分前に亡くなられたのだが、1991年、高松宮さまの日記が発見されて、大騒ぎになった。

何故かというと、高松宮さまは戦争中海軍軍人で、海に出ていたこともあるし、海軍の本部の軍令部という軍の機密にも接することができる部署で働いておられた。お飾りではないのである。

そして、高松宮さまは、非常に克明に、毎日の記録を残していて、開戦にいたるまでの海軍内部の混乱や、戦争中の東条英機の独裁制に対する怒り、終戦に至る経過など、それまで分からなかったこと、世間が知らなかったことが書かれていて、史料として、大変な価値がある。

宮内庁の役人は、宮様のプライベートも記されているから、出版するべきではない、と主張した。

しかし、喜久子さまは、「皇族のありのままを世間に知って欲しい」と仰って、作家の阿川弘之氏(たけしのTVタックルに出ている、阿川佐和子さんの父上。志賀直哉の最後の弟子)ともう一人、元海軍軍人に編集を依頼した。非常にオープンで、リベラルな方なのである。


◆高松宮日記の迫力

 

 大変な作業を経て、この日記は中央公論社から全8巻で出版された。地味な本だが、驚くほど売れた。

編集の過程での色々な逸話を、阿川弘之氏が高松宮と海軍に書いている。高松宮日記そのものを読む以前にこの本を読むといい。

これを読むと、高松宮さまは、何とか戦争を避けようと、必死に昭和天皇を説得していたことが分かる。

圧巻は、戦争が始まって、ミッドウェー開戦で海軍が壊滅的打撃を受けた後には、なんと兄上の昭和天皇に向かって、「何故、『絶対に戦争はしてはいけない』と言わなかったのだ」と怒鳴りつけたという逸話である。

何が何でも戦争、戦争で凝り固まっていた、当時の軍人や政治家の多くよりも、余程、思考が柔軟で、心底から平和を祈念しておられた。

また、戦時中、東条英機による、言論弾圧、憲兵を用いての恐怖政治を高松宮さまはひどく嫌い、なんと一時は、宮様は、東条を暗殺できないかどうか、思想を同じくする人と密談を重ねた、という記録があり、これには、本当に、驚きを禁じ得ない。

一刻も早く戦争を終わらせないと、国民が次々と犠牲になる。何とかしなければ、という、高松宮さまの苦悩と憔悴が、阿川氏の文章を通しての間接的な形ではあるが、ひしひしと伝わる。

喜久子さまは、国民は勿論、言葉にあらわせないほど、悲惨な目にあったが、皇族である高松宮さまも、ものすごく苦しかったのだということを知って欲しかったのであろう(無論、それだけが出版の理由ではないにしても)。

要するに、喜久子妃殿下がおられなかったら、「高松宮日記」は世に出ないまま葬り去られた可能性が高い。

つまり、 この、貴重な史料を読むことができるのは、喜久子さまの業績である、と云っていい。

さすがは進取の気風で知られた慶喜将軍のお孫さまである。

ご冥福を祈る。


by j6ngt | 2004-12-19 22:48


<< 正月ぐらい、日本全体が休んだら... 「ジャーナリスト鳥越氏ら、19... >>