<   2006年 04月 ( 12 )   > この月の画像一覧

<あしなが育英会>奨学金希望者が過去最多 格差拡大影響か←貴方も目の前のPCから募金できる。

◆記事:<あしなが育英会>奨学金希望者が過去最多 格差拡大影響か

病気や災害、自殺などで親を亡くした学生を支援する「あしなが育英会」(玉井義臣会長)に、高校進学の奨学金を希望した中学卒業生が今春、過去最多の1360人になった。

奨学生の総数も増え、年間の貸与予定総額は93年の発足以来初めて20億円を超えた。

同会は「大企業が景気回復する一方で、母親のパート収入が減った遺児は高校進学もあきらめざるをえない」と格差拡大の実態を訴え、寄付を増やす新たな方法を検討している。

同会が今年度、奨学金貸与を予定する高校・大学生らは5343人。貸与額は20億5000万円で、前年度の実績より8・3%増えた。

貸与している母子家庭の平均勤労年収は131万円で、一般家庭の3割未満という。

奨学金は学生街頭募金や定期的に寄付をする「あしながさん」に支えられているが、繰越金は年々減っている。

秋には新規あしながさん募集キャンペーンを実施し、ホームページからも寄付できる仕組みも導入する。

春の街頭募金は30日まで、全国250カ所で行われる。郵便振替(00140―4―187062 あしなが学生募金事務局)は随時受け付け。



◇善意無駄にせぬ

「奨学金を知らなければ、娘の高校受験は難しかった」。埼玉県の母親(44)はそう話す。昨秋、乳がんの手術を受け、今年1月には会社員の夫がくも膜下出血で急逝。

学校に同会の奨学金を紹介され、長女(16)は県立の進学校に合格した。

工場でのパートは時給750円。抗がん剤の副作用で月の半分も働けず、社会保険を払うと手取りは2万円程度の月もある。高校の月額授業料とほぼ同額だ。

高校生になった娘は毎日、夜遅くまで勉強している。

母親は「善意を決して無駄にせぬよう、娘も頑張り、私も早く元気になりたい」という。(毎日新聞) - 4月29日21時3分更新


◆コメント:ゴタゴタ理屈を言う前に、皆、ひとり300円募金すれば良いのだ。

本人に責任がないのに、経済的に困っている人がいる。学校にすら進学できない子供がいる。

余裕がある人は、困っている人を助けるべきだ。

私はいつも、論理性とか、合理性とか理屈っぽいことを書くが、本件に関して、小難しい理屈は要らぬ。



総務省統計局のデータによれば、平成16年4月1日の現在、日本の総人口は1億2770万人である。

うち、子供(15歳未満)は1781万人である。子供でもケータイやらiPodを持っているのだから、募金できない筈はないが、とりあえず外して考える。

つまり、日本に「大人」は約1億1千万人もいる。

その中には、記事に書かれている、奨学金を必要とする人も含まれているわけだが、後述するが、5000人とか6000人だ。誤差の範囲内と言って良い。

1億1千万もの大人がいて、病気や災害、事故・自殺などで親を亡くした家族、こどもたちを助けられない社会があって良いのだろうか?

高校進学の奨学金を希望した中学卒業生が今春、過去最多の1,360人

同会(あしなが育英会)が今年度、奨学金貸与を予定する高校・大学生らは5,343人。合計6,703.人。

潜在的にはもっといるだろうが、とりあえず、たった6,700人だ。


世の中には他にも困っている人はいるだろう。それは分かっている。
しかしながら、1億人の大人がいて、6,700人の子供達が困っているのを助けられない、という状況はどう考えても理不尽だ。

一人10円でも10億円。100円なら100億円だ。

今年度の奨学金貸与(寄付じゃないよ。貸すんだよ)額が20億5000万円だという。100億円あれば、随分助かるだろう。

くどいようだが、一人100円の募金もイヤだというのは、あまりにも冷たくないか?


◆貴方は今、目の前のPCから直ちにあしなが育英会に募金出来る。

前段落の見出しに一人300円と書いたのは、Yahoo!ボランティアから、あしなが育英会に募金する最低金額が300円(最高3,000円)だからだ。リンク先には他の募金も色々あるが、全部の状況を説明するときりがないから、今回は「あしなが育英会」に話を絞る。
募金は、ここから行う。

壁紙をカードで購入した代金が、募金になる。壁紙自体はたいしたことはないが、関係ない。


◆自殺遺児が小泉純一郎を訪ねたときの冷たい顔が私は忘れられないのである。

あしながについては過去に何度か書いた。これが、一回目。これが、二回目だ。
募金を必要とする人は他にもいることは承知しているが、私が「あしなが」に固執するのは、以前、交通遺児の代表が首相官邸を訪れ、小泉首相に陳情したときの映像が脳裏に焼き付いて離れないからだ。

小泉純一郎は、その子の目を決して見ようとしなかったのである。
その氷のように冷たい表情が、少年の失望した表情と共に、記憶から消したくても消えないのである。なんという男だ、と思った。



「冬ソナ」のチェ・ジウや、日韓親善大使の「藤原紀香」や、フィギュアの「荒川静香」と面談したときの表情とのあまりの違い!

私は「こいつは、まっとうな人間ではない。」と確信している。


◆「偽善」と言いたければ言うがいい。

もう一度書くと、「あしなが育英会」とは事故・自殺・病気などで親(主に父親)を失い経済的に困窮し、進学したくても出来ない子供を援助するシステムである。

口座振替で毎月1,000円募金するという方法もあるし、街頭募金に応ずるのも良いが、兎にも角にも、今の世の中、このPCとネットに接続できる環境と、カードがあればすぐに募金できるのである。



「募金をしない理由」はいくらでも考えることが出来る。

「カネを出して良いことをしたつもりになっている偽善者」などと、言う奴もいる。自己陶酔というわけか。てめえは単なるケチのくせに。

「たかがカネ」じゃないぞ。たとえ、千円だろうが、500円だろうが、私が額に汗して働いたカネだ。



そういうことを言いたければ言うがいい。

私はいつもあしながにネットで募金している。

私自身、病気をしたから会社の給料は半分に、ボーナスは三分の一だ。しかしそれでも食える。

子供を学校に通わせることも出来る。こうしてパソコンまで買っている。まだ平気だ。



記事を読んで頂きたい。

父親が亡くなった上に、母親が乳ガンになり、ただでさえ安いパートの給料なのに、月の半分も働けず、手取りが月に2万円という家庭があるという。

これを黙ってみていられるものか。


by j6ngt | 2006-04-29 23:33 | 小泉政権

「ヴァルトビューネDVD」続報、「スクリーマーズ~サーカス・マーチ名曲集」やたらと上手い吹奏楽

◆「ヴァルトビューネ」DVD、喜んで頂けたようです。

先日、ベルリンフィルが毎年行う野外コンサート、「ヴァルトビューネ」(ピクニック・コンサート)のことを書きました。

その中で、1993年に小澤征爾さんが振ったヴァルトビューネ1993 ロシアン・ナイトは楽しいですよ、とお薦めしたのですが、実際に買って聴いた(見た)という方から、大変楽しかったと感想を頂きました。有難うございました。

実際楽しいですよ。くるみ割り人形、剣の舞の他、私は忘れていたのですがボロディンの「だったん人の踊り」という曲があります。これはどこかで聴いたことがある、と言う方が殆どだと思います。

曲の中頃、オーボエが吹くメロディーを聴いて「美しい」と感じる人はとても多いでしょう。

これを聴くと、私は「切なさ、懐かしさ、郷愁」という言葉をいつも連想します。勿論、きくひとそれぞれ、勝手なイメージで聴けば良いのです。

とにかくベルリンフィルは皆名手ですけど、この時はシュレンベルガーという人だと思うのですが、背筋がゾクゾクするほど美しい。



クラシックでDVDというとオペラを考える方が多いでしょうが、コンサートも「見る」ものなんですよ。

フィギュアスケートのおかげで、日本人全員が、トゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」というアリアの名前とメロディーを覚えました。

だけどね。あれはオペラのほんの一部のそのまた一部、全体の百分の一ぐらいなんですから。

「トゥーランドット」全曲聴くか見るかしてご覧なさい。つまらんよ。たまらないよ。耐えられないよ。私はオペラは好きじゃないですね。バレエの方がいいですよ。

ロンドンにいましたから、ロイヤル・バレエで熊川哲也氏がプリンシパルだった頃に、「ジゼル」(という有名なバレエ)を始めとして何度も見ました。吉田都さん(今も現役)も見ました。あれは美しい。

人間の身体の動きの美しさ、ということです。

話が逸れましたが、そういうわけで、ヴァルトビューネ1993 ロシアン・ナイトはますます自信を持ってお薦め出来ます。

他の指揮者もどれも、皆楽しいです。


◆「スクリーマーズ~サーカス・マーチ名曲集」(イーストマン・ウインド・アンサンブル)

私は、この日記では、アメリカに関しては圧倒的に批判的な記事が多いですが、アメリカにも良いものは沢山有ることぐらい分かっています。

私がそれを実感する最も手っ取り早い方法は、やはり、音楽です。

今日御紹介するのは、イーストマン音楽学校というアメリカ有数の名門音楽学校の吹奏楽団が、サーカスの時に演奏する景気が良い音楽ばかりを集めたものです。

私はアメリカが嫌いになりそうだと、心の平衡を保つために、このCDを聴くことがあります。スクリーマーズ~サーカス・マーチ名曲集です。

「サーカス」「マーチ」「吹奏楽」というとバカにする人がいるでしょうが、まあ聴いてみなさいって。あまりの上手さに驚きます。

録音は何と1950年代ですから、私の生まれる前なのに、CDの音質は信じられないほど良好です。

リンクを貼った国内版のページだと試聴できないので、全く中身は同じですが、こちらの輸入盤のページに飛んで下さい。そこでは試聴できます。

この試聴用音源、いくら何でももう少し音質を何とかしてほしいけど、それはともかく、手始めに、トラックナンバー7“The Circus Bee”を聴いてください。

吹奏楽では当たり前ですが弦楽器は(例外的にコントラバスを含む場合がありますが)いないので、必然的に管楽器は吹きっぱなしになります。

最初からラッパが軽快な速いメロディーをすらすら吹いていますがこの音はトランペットに似ていますが、ちょっと柔らかいでしょう?コルネットという楽器で吹いています。試聴用音源の終わりでちょこっとしか聞こえませんが、コルネットの速い動きに呆気にとられていると、トロンボーンのこれもまた、とても速いパッセージが出てきて驚きます。

「えっ!トロンボーンって、こんな速いの、吹けるの?」と思われることでしょう。


◆この指揮者はフレデリック・フェネルという人です。

イーストマン音楽学校(音楽学院)はれっきとしたクラシックの音楽学校で、何もイーストマン・ウィンドアンサンブルはサーカス音楽ばかりを吹いていたわけではありません。

大変レパートリーが広いのですが、この吹奏楽団を作ってずっと指揮者を務めていたのがフレデリック・フェネルという、吹奏楽の世界では知らない人がいないぐらいの有名人です。

一昨年無くなりましたが、晩年、日本の佼成吹奏楽団の指揮者をしてくれていました。夢のような話でした。


◆すこし凹んだときなど、最適。

本当に気持ちが落ち込んだときというのは、何をしてもダメで、音楽を聴く気持ちにすらならないものです。

すこし回復しても、いきなり明るい曲を聴いてはダメらしいですね。

音楽療法では「同質性の原則」というらしいけど、暗い気持ちの時は暗い曲から聴き始めて、次第に明るくしてゆく。

気持ちが暗いのに、明るい音楽でドンチャン演られると余計に落ち込むからです。

しかし、大抵そこまで落ち込む事はない。日常のちょっとしたことで元気が無いというときなど、この「スクリーマーズ」は大変気持ちを明るくしてくれます。

単に明るいのではなく、きちんとした音楽性に裏付けられた、コントロールされた演奏だからです。

アメリカ人がよく口にする、“Are you happy?”という言葉が聞こえてきそうな音楽です。


by j6ngt | 2006-04-29 09:43 | 音楽

自分が感じていることが必ずしも正しく事実をとらえているとはかぎらない

◆うつ病診断リストを考案したベックという精神科医が提唱した「認知療法」

このような話にやんごとなきお方を引き合いに出すことは不敬の極みであるが、

一般にも報じられており(月刊文藝春秋など)、オープン・インフォメーションとなっているので、書かせていただく。

皇太子妃雅子さまが適応障害と診断され、医師団が薬と共に試みた精神療法を、読者諸氏は覚えておられるだろうか。

雅子さまに効果があったといわれる治療法の一つが、「認知療法」(Cognitive Therapy)というものである。



これは、ペンシルバニア大精神科教授、アーロン・ベック氏がうつ病の治療の為に考案した治療法である。

アメリカでは30年ぐらいの歴史があるらしいが、日本で試みられるようになったのは、1980年代以降のことで、一般人にも知られるようになったのは、比較的最近である。

ちなみに、ベックは、患者(かも知れない人)が自分で自分が治療が必要な程度の抑うつ状態にあるのか、

或いは単なる軽い気分の落ち込みなのかを判定する(勿論完全にこれだけで診断できるわけではないが)ための、「ベックのうつ病調査票」

を作ったことでも知られる。


◆認知療法は、元来はうつ病の治療を目的としている。

如何なる病気でも、万能薬や治療法があることは稀であり、一人一人、病気と薬、治療法の相性がある。

一つの病気に対して複数の治療法や薬が併存していることが、その何よりの証拠である。

素人判断で間違った対処をしては、病状(もしも何かの病気ならば)を悪化させることに成りうる。

だから、本当に具合の悪い人は専門医の診察を受けた方が良いことは論を待たない。餅は餅屋である。



それでは、何故、素人の私が専門的なことを取り上げるかというと、認知療法は、うつ病の人でなくても、使えるからである。

繰り返しお断りしておくが、うつ病の本当に重いときは、これから書くことを読む気力もないはずだから、それは、まず、医師の診察と治療(服薬)、そして休養が必要である。

認知療法は、理屈っぽい人に向いている。

西欧的・論理的思考に慣れている、あるいはそれを好む人に有効である場合が多い、と書いていた専門医がいたのを記憶している。


◆「認知の歪み」を自覚することに尽きる

私たちは、世の中を視覚や聴覚によって得た情報を元に、今自分の属する場はどのような状態にあるか。自分はどのような役割を果たしているのか、などを判断している。

しかし、その判断が、「世の中」や「自分」を「正しく」認識した上に成り立っているかと言えば、必ずしもそうではない。



たとえば、極端に悲観的な人は、一度新しい仕事で失敗をして、しかもそれが大きな問題をもたらすものではないのに、「自分はもうダメだ」などと落ち込む。

また、失敗したことが無いのに、「今度こそ失敗するに違いない」という観念に囚われて、いてもたってもいられない、という人もいる。

どちらも人に危害を加えるわけではないが、要するに、日常用語で言えば「取り越し苦労」が激しい。



これをベック氏は「認知の歪み」とか「自動的否定思考」と呼んだ。

要するに、「心の癖」なのだ。

それがあまりに続くと本当に抑うつ状態、又は、本格的なうつ病(Major Depresion)に発展してしまうことがある。



そこで、アーロン・ベック氏は、このような「認知の歪み」のパターンを分析した。

認知療法を受けるものは、治療を受けるのだが、実際には自分で、自分の「認知の歪み」を認識すればよいのである。


◆認知の歪みの種類


  1. 「全か無か」思考:物事を全か無か、白か黒か、という二分法で見てしまい、中間の部分、グレーの部分を考えに入れようとしない思考パターン。ちょっとでも失敗すると、「全てがお仕舞いだ」という風に考えてしまう。 完全主義がこの思考パターンを導きやすい。実際の日常は、いいところ6割、まずいところが3割、どちらともいえないところが1割という具合にあやふやな、ファジーな部分で成り立っている。

  2. 一般化のしすぎ:一つか二つの事実を見て「すべてこうなんだ」と思い込む傾向。一度か二度起きたことが、この先永遠に起きるような気がしてしまうこと。

  3. 選択的抽出:うつ状態にあると自分の関心がある、特に悪いことばかりに目がいってしまいがちである。過去を振り返っても失敗したことばかり選んで思い出してしまい、身の回りで起きていることもトラブルばかりが目に入る。自分が悪いところだけをみている、ということを自覚できなくなってしまう。

  4. マイナス思考:良いことが見えなくなるのみならず、何でもないことや、いいことまで悪い方、悪い方に捉えてしまう。

  5. レッテル貼り:「一般化のしすぎ」や「選択的抽出」が極端になった状態。ちょっとした失敗体験をもとに、それが自分の本質であるかのように自分にレッテルを貼ること。「自分がダメな奴だ」というのが典型的なパターン。実際には成功した経験もあるのだが、それらは捨象されてしまう。

  6. 独断的推論(心の読みすぎ):僅かな根拠から、相手の心を勝手に推測し、事実とは違う、あるいは全く事実無根の結論を下してしまうこと。うつ状態でいると、誰かが自分の後ろでひそひそ話をしているだけで、「自分の悪口を言っているに違いない」と一方的に傷つき、結局全てが嫌になってしまう。この背景には「他者評価絶対主義」がある場合が多い。つまり、「他者の評価こそが自分の価値の全てを決めている」という極端に歪んだ認知。これに対して「普通の」態度は、他人の評価を受け入れつつ、自分で自らの良い点も認めていく、という、他者の評価と自己評価のいずれをも尊重する態度である。

  7. 拡大解釈と過小評価:自分の持つ様々な資質の中でも、悪いところばかりをことさら大きく重大なこととして捉え、逆に、自分の長所は小さく見積もってしまう。

  8. 感情的決め付け:「自分がこう感じているのだから、現実もそうであるに違いない。」と誤って思い込むこと。うつ状態にあると、冷静に考えればたいした事態ではなくても、「こんなに大変な思いをしているのだから、実際に大変な場面に直面しているのだ」と思い込み、打ちひしがれ、「取り返しのつかないこと」と思い込んでしまう。確かにうつ状態だと、ほんの些細な失敗でも、「一巻の終わり」「絶体絶命」のように感じてしまうが、客観的には大した事が起きているわけではない。

  9. 「~すべき、せねばならない」思考:何をするにおいても、「こうすべきだ」「常にこうあらねばならない」という厳しい基準を設定してしまう思考パターン。「常に明るく振舞っていなければならない」などというのが典型的な例。結局自分を追い詰め、窮地に立ってしまう。 こういう厳しい基準を常に自らに課していては、大抵のことは失敗に思えてしまい、自己嫌悪に陥ってしまう。

  10. 自己関連付け:身の回りで起きる良くない出来事を何でもかんでも自分の責任だと思ってしまうこと。



◆紙に書いてみるのである。

勿論全ての項目に当てはまるという人は少ないだろうが、いくつかの項目に関しては自分も該当すると言う方もおられるのではないだろうか。

それは、別に人格が強いとか弱いとかではない。くどいようだが、「認知が歪んでいる」のだから、正せばよいのだ。

認知療法では、このような歪んだ認知を、「客観的」「合理的」な考え方に変えていく「訓練」をするのである。で、その手法の一つが「書く」ことである。

例えばある朝、会社に出社し、上司に挨拶したのに、機嫌の悪そうな声しか返ってこなかった。

そこで、普段なら平気な人でもうつ状態のときは、「自分は上司に嫌われているのではないか」「何か重大な失敗をしたのではないか」と思い込んでしまう。



そういう時に、「認知の歪み」を自覚し、修正するのである。

「自分は上司に嫌われているのではないか」という思考パターンは上に挙げた項目の6、「独断的推論(心の読みすぎ)」に当たるのではないか、と。

何故なら、事実はわからないからだ。「その上司はたまたまその日の朝に奥さんと言い争いをして機嫌が悪かっただけかもしれない。」と考えることも可能である。

あるいは、落ち込んでしまった人は3.「選択的抽出」に陥っているかもしれない。

その上司はかつて自分の仕事を評価してくれたことがあったのに、うつ状態だと、悪いことばかり、つまり叱られたことばかりが思い出されてしまう。



認知療法ではこのように自分が習慣的に陥ってしまった否定的な自動思考を(全てでなくてよいのですが)日記風に書き出し、

それは冷静な立場からは別の見方が出来ないかということを、その横に書き出していく、という作業を行う。

最初は面倒だけれども、幸いパソコンを利用すれば、そのような対照表は簡単に作ることが出来る。

表を作る気力がないのであれば、気持ちが落ち込んだときに、「認知の歪みのパターン」を書いたメモを時々見て、

「ああ、いまの自分は、このパターンにあてはまっているな」と自覚するだけでも、効果がある。


◆うつ病の人でなくても取り越し苦労の多い人。楽観的すぎる人いずれも応用できる。

「認知療法」で検索するとあまりにも多くの本を見つけてしまうので、代表的なものを一つだけ紹介する。いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法だ。

著者は、アーロン・ベック氏ではなく、デビッド・D.バーンズという人だが、バーンズ氏はベック氏の弟子である。ベック氏の方法論をそのまま踏襲しているといっていい。



今、私の綴るこの駄文を有難いことに読んで下さる読者のおひとりは、この本を読んで実践してみたら、憂鬱な気分が劇的に好転したと仰っていた。



尤も、始めの方で書いたとおり、万人に有効であるとは限らないし、重いうつ病のひとは、あまり理屈っぽく考えると、却って良くないかも知れない。

私が「認知療法」と、この書物を紹介したのは、

1.自分が感じていることが、事実を正しく把握しているとは限らない。

2.どうしても、否定的な思考が先行して苦しい人は、それを客観的に自分で観察して矯正することが可能である。

ということを強調したかったからである。

興味を持たれた方は一度本を手にとってみてはいかがだろうか。


by j6ngt | 2006-04-29 09:34 | メンタルヘルス

無思考」を「プラス思考」と称する欺瞞

◆読者の方からヒントを頂いたことを予めお断りしておきます。

私は、同じ文章をエンピツ、ココログ、エキサイトブログの3カ所に掲載している(エキサイトは最近更新をサボりがちです。済みません)。

本稿は、その3つのうちのいずれかの読者の方からヒントを頂いたものであることを予めお断りしておく。

ブログの本来のあり方からすれば、ここでその方の文章にリンクを貼るべきところであるが、

ブログには、変なエロサイトからスパムTBを送ってくる者がしばしばいるので、その読者(仮にAさんと呼ばせていただく。)に、つまらぬTBが流れてゆく恐れがある。

そういうご迷惑をおかけしたくないので、何処のどなたかは伏せさせていただく。非礼をお許し頂きたい


◆Aさんの主張。

Aさんのお仕事は、マスコミ関係若しくはそれに近いという事だが、私とご本人とは勿論全く面識が無い。

先日、上記3カ所のうちのどれかにコメントを頂いたので、Aさんのブログを読ませていただき、非常に共感を覚えたエントリーがあった。

それは、

「何でも、プラス思考をしていれば、世の中上手くいく(或いは世の中で上手く生きてゆける)という考え方が間違っている」


ということである。

Aさんはマスコミ関係の仕事をしておられるわけだから、当然、世の中の「問題点」を取り上げることが多い。

必然的に、今の日本が確実に悪い方へ向っていることを感じるという。



ところが世の人々は、とりあえず、毎日のメシには困らないし、特に都会に住んでいれば、なんだかんだと楽しいことがある。

しかし、楽しいことばかり考えていれば「何とかなるさ」というのは「ポジティブシンキング」(positive thinking)の勘違いではないか。

現存する世の中の問題がこのまま発展したら、如何なる深刻な事態に発展するかという「マイナス思考」も、必要だ。

以上が、私の主観に基づいて要約したAさんの思想である。


◆全く同感である。

私もそれを考えていた。後付けではない。

3月11日の記事(官公庁の情報流出に関する文章)で私は、
「リスク・コントロールは「マイナス思考」で無ければだめだ。」


と書いた。「リスクコントロール」は日本語で「危機管理」と云う。

危機管理はマイナス思考が出来ない人間には務まらない。



考え得る最悪の状況を想定し、それでも対処できるような体制を構築するのが、「官」でも「民」でも、危機管理責任者の仕事である。

リスク・マネージャーが脳天気な楽天主義者で「あれも大丈夫だろう。こんなことも滅多に起きないから、そこまで考えなくていいよ」という人物だったら、危なくて仕方がない。

私はそのようなに考えていたので、Aさんのご意見には非常に共感を覚えた。

そして、もう少し考えているうちにあることに気づいた。


◆「深刻な問題」「考えたくない現実」から目を背けることを「プラス思考」と云っているのではないか?

世の中には本当に、困難にぶつかっても、それを良い方向に解釈することが出来る人がいる。

話が大げさになるが、松下電器産業の創始者、故・松下幸之助氏へのインタビューなどを読むと、松下氏は本当に正真正銘のプラス思考だったことが分かる。

それは、脳天気なプラス思考ではなく、世の中の凡人ならば「辛い」とかんじることでも、氏はなにかしら、そこから「収穫」を得るのである。

詳しく書くと長くなるので省く。松下幸之助氏に関する逸話などいくらでも本がある。ネットでも調べられるから、一度、ご覧になることをお薦めする。

とにかく、松下氏は、「プラス思考の天才」である。



しかし、昨今の世間の「プラス思考」は質が異なる。

面倒くさいこと。気が滅入ること。放っておけば世の中が大変なことになるという事実から目を逸らしているだけだ。

厳しい云い方をすれば「現実からの逃避」である。

子供じゃないのだから、気が滅入るような問題にも敢えて目を向けるべきなに、「無思考」を「プラス思考」と勘違いしている。

「地球温暖化?大したこと無いだろ?」

「小泉首相がブッシュの傀儡政権だろうがなかろうが、毎日の暮しが楽しければ、それでいい。難しいことを考えても仕方がない」

「年金?まあ、何とかなるだろ?」

「国債発行残高が何百兆円とかいってるけどさ。別に俺たち関係ないじゃん?」

これでは、バカである。

今一度繰り返す。

「プラス思考」と「面倒くさい問題を考えないこと」を混同してはいけない。


by j6ngt | 2006-04-26 03:40 | クラシック

お薦めCDシリーズ シュターツカペレ・ドレスデンの「金と銀」←きれいですよー。

◆世界最古のオーケストラ「シュターツカペレ・ドレスデン」

シュターツカペレ・ドレスデンというのはオーケストラの名前です。

日本語にすると、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団になります。

ドレスデンというのはドイツの一番東にあるザクセン州(因みにドイツに連邦州は16あるそうです)の州都です。

そこにある国立歌劇場のオーケストラ。オペラが専門なのですが、コンサートもやります。

シュターツカペレ・ドレスデンは「世界最古のオーケストラ」と言われています。本当はもっと古いのがあったのですが、廃れてしまったので現存のオケでは世界最古ということです。

勿論古ければ良いってものじゃないですね。ドレスデンが有名なのは古いからではなく上手い、そして「音」です。

重厚な、生で聞くと聴き手の全身の細胞に、「ズシン!」という重量感のある音が届く。それがたまらなく好きだという古くからのファンが多いのです。

歴代の指揮者のリストを見ると、ワーグナーとかウェーバー(オペラの「魔弾の射手」とか、ピアノ曲「舞踏への勧誘」を書いた人。

「舞踏への勧誘」は後にベルリオーズがオーケストラ用に編曲したものもしばしば演奏されます)。など、すごい顔ぶれです。


◆「クラシック通」の方はブルックナーを聴けとかいうでしょうが・・・

それでですね。

ドイツのオーケストラは、ドイツの作曲家ベートーベン・ブラームス・ブルックナーを演奏するのがもっともしっくり来るわけですが、

シュターツカペレ・ドレスデンは特に「ズシン!」ですから、ブルックナーを聴けと五月蠅い人が多いです。



しかし、その「ズシン!」で、普通は軽く演奏されがちなウィンナーワルツなどを演奏したCDがあります。

ウィンナ・ワルツ・コンサートです。

あまりにも平凡なタイトルなので見逃しがちなのですが、実は大変な名演が録音されています。

曲目は、


  1. 喜歌劇「こうもり」序曲(J.シュトラウス2世)

  2. ワルツ「ウィーンの森の物語」op.325(J.シュトラウス2世)

  3. ワルツ「天体の音楽」op.235(ヨーゼフ・シュトラウス)

  4. 喜歌劇「ウィーンの朝・昼・晩」序曲(スッペ)

  5. ワルツ「金と銀」op.79(レハール)

  6. ポルカ「浮気心」op.319(J.シュトラウス2世)


です。

「喜歌劇」とは「オペレッタ(オペラよりコミカルで軽いもの)」の訳です。「こうもり序曲」は楽しいですよ。うきうきしてくる音楽です。

ですが、何と言っても、このCDの白眉は「金と銀」ですね。

こういう曲はポップスコンサートで小編成で軽くさらっと演奏されてしまうことが多いのです。

ところが、このときにシュターツカペレ・ドレスデンの指揮者(音楽監督)だった、ルドルフ・ケンペという人は偉いです。

ものすごく真面目に大編成のオーケストラにして、ひじょうに深い音を引き出しています。大変な名演奏だと思います。


◆「金と銀」だけでもお薦めです。

同じ曲でも指揮者によって全然違って聞こえる、名演にも平凡な演奏にもなってしまいます。そこが、オーケストラの面白いところです。

このCD、ルドルフ・ケンプ指揮、シュターツカペレ・ドレスデンによるレハール作曲「金と銀」は名演になったほうの最も素晴らしい例だと思います。

これほど素晴らしい演奏を言語で表現する能力を、私は残念ながら持っておりません。月並みですが「涙が出るほど」美しい。


◆何でも「レッテル貼り」(先入観に支配されること)は禁物です。

さらに、恥ずかしながら告白すると、私はこのCDを聴いたときに、「金と銀」のメロディーの美しさに漸く気が付きました。

これほど美しいメロディーは大作曲家でもあまり残していないと思うのです。

レハールはオペレッタの作曲家で、他には「メリーウィドウ」という有名なオペレッタがあります。

しかし、はっきりいって世間では、「オペレッタ作曲家」はベートーベン、ブラームス、ブルックナーよりも「格」が低い作曲家と見なされています。

私も、そういう「レッテル」に引きずられていました。



「金と銀」なんて、既に何度聴いたか分からない、「クラシック入門曲」で、「オペレッタ」で、という意識が先行して、それまでは「聞き流し」ていたのです。

それが、名指揮者と超一流オーケストラが本気で演奏すると、これほど美しいのだ。ということ。先入観で音楽を聴いてはいけない、ということが良く分かりました。



弦楽器群の奏でるメロディーとハープの音が重なり、陶然とします。

ですが、ただ、漠然と「うっとりムード」で通しているのではありません。

文章に段落があるように、一つの曲は、幾つかの部分から成り立っています。

その変わり目のところをいい加減に弾くと、締まりのない演奏になってしまいますが、ケンペはそこが見事です。

区切れ目のところでは思い切り、バスとティンパニを「ズシン」と響かせるのです。このメリハリが何とも巧みなのだと思います。

フォルテはきちんとフォルテ。ピアノはピアノで弾く。当たり前のことですが、その対照が名演奏の一つの要因になっているのではないかと。

素人考えですが、私はそのように考えました。

「金と銀」のこれ以上の名演は多分、無いでしょう。これは、お薦めです。


by j6ngt | 2006-04-22 11:02 | 音楽

1961年4月19日、エドウィン・O・ライシャワーハーバード大学教授、駐日大使として着任。

◆ライシャワー博士のような、本当に日本(人)を知る人がアメリカにいないのが悲劇なのだ。

故・エドウィン・O・ライシャワー、ハーバード大学教授は、専攻は日本史です。アメリカ有数の、というよりも、「世界的日本史学者」でした。

私はこの日記で過去数回、ライシャワー先生のことを書いています。

最初は教育に関しての稿でした。

ライシャワー先生は、晩年の名著、且つライフワークと言っても良いかと思いますが、ザ・ジャパニーズ―日本人という本の中で

「例えば「生」という字の発音は12種類あるが、そのいずれにするかを決定するのは、主として、文脈、前後関係から判断するしかない。このような、恐るべき表記法を持つ言語にもかかわらず、高い識字率(低い文盲率)を実現しているのは、日本人の教育に掛ける情熱の証しとして、賞賛されて良い」


と、書いてくださっています。

この、ザ・ジャパニーズ―日本人は日本古代史から現代史まで概説した上で、

アメリカの学者ではない一般人でもある程度教養がある人なら、「日本人とは何か?」を理解できるように書かれています。

「言語」という章があり、そこでは、上でごく一部を引用しましたが、その他に、日本語が世界の言語の中でもかなり孤立した位置にあり、日本人にとって英語を習得するのがどれほど大変なことか、

丁寧に説明してくださっています。

日本語訳を担当したのは「同時通訳の神様」と呼ばれ、ライシャワー駐日大使の通訳も務めた、「只管朗読」で有名な國弘正雄氏です。

ライシャワー博士が翻訳者として指名したそうです。

英語を勉強したい特に学生諸君には、是非原著、Japaneseを読んで頂きたい。

世界有数の教養人が書いた日本人論ですが、これほど読みやすい英語があるだろうか、と驚きます。



昔、ラジオの文化放送は夜、「百万人の英語」という英語講座を毎日放送していたのですが、水曜日は謂わば「原書講読」の日でした。

その講師が國弘先生で、教材がこの“The Japanese”、という時期がありました。

そして、何と毎回この「言語」の章から1パラグラフですが、ライシャワー教授(その頃はとっくに米国に帰り、ハーバードで教えておられました)が自著を朗読した録音が聴けたのです。

AMラジオだから音質は近年のデジタル音源とは比較にならないけれども、今から思うとなんとも贅沢な番組でした。


◆専門はものすごく難しいのです。

ライシャワー教授の父君は宣教師で、ライシャワー教授は日本生まれなのです。ごく幼い時期を日本で過ごしたことが、日本への親近感と日本史への興味につながったわけです。

ザ・ジャパニーズ―日本人は一般向けの本ですが、本来、ライシャワー教授は日本史の専門家です。

円仁(794-864)という平安時代の僧侶が、「最後の遣唐使」として838年から847年まで唐に滞在しました。

円仁はその間、中国のいろいろな場所を見て歩きました。その記録が、「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんらいぎょうき)」という、私など何度聞いたりみたりしてもタイトルさえ覚えられない史料です。

これをライシャワー教授はなんと英訳しています。日本人が読んでもさっぱり何が書いてあるか分からない資料を読んでいるのです。

日本史の専門家だから当たり前とはいえ、アメリカ人でこれほど日本に通暁した人は珍しい。

そういう方が駐日大使を務めて両国民の相互理解に貢献した功績は大変なものです。

本当は政治などに関わらず、ずっと研究を続けたかったでしょうに。


◆ところが、暴漢に刺された・・・。

駐日大使時代、1964年、ライシャワー大使が日本の精神障害の少年に太腿を刺される、という大事件が起きました。

ライシャワー博士は日本語ペラペラで、笑顔を絶やさない、紳士でした。それまでそんなアメリカ人、ましてや大使はいなかったので、ライシャワー博士は日本人からも慕われていました。

歴代、最も日本人に尊敬された駐日米国大使だと思います。

ですから、この事件のすぐ後から、大使が入院している病院やアメリカ大使館には、日本中から見舞いの手紙が殺到しました。

「どうか、このことで、日本人を誤解しないでください」という手紙が多かったそうです。

そのようなことを言われなくても、ライシャワー博士の日本への思いは変ることはなかったのですが、博士は「大変感激し」た、と、ずっと後ですが、NHKの特番で話していました。



ただ(これは司馬遼太郎氏がエッセイ集「風塵抄」で書いていますが)、ライシャワー大使はまもなくハワイのアメリカの病院に転院したのです。

それは日本人医師が嫌だったのではなく、ひとつには、輸血により、肝炎に感染してしまったこと。

もう一つは、当時の日本の病院があまりにも汚かったので、見舞いにくる米国側の要人たちが、「日本はアメリカ大使をこんな汚い病院に入院させたのか」と誤解するといけない

(するに決まっている)という配慮だったそうです。非常に細やかな配慮をなさるお人柄だったのです。


◆「ライシャワー博士の最終講義」

博士は1980年、ハーバード大学を退官するに当たって、特別最終講義を行いました。その様子はNHKが録画して日本でも放映されました。

講義には日本史専攻だけではなく、学内から学生、院生が殺到し、立錐の余地もないほどでした。

ライシャワー博士の講義は、日本人の特質を細かく説明し、日本人を理解するために必要な知識を学生に与えて下さいました。

今、ライシャワー博士のような碩学がアメリカにいないのが、米国政府の日本への無茶な要求の背景にあると思います。残念です。

博士は、1990年9月1日に他界されました。偉大な生涯でした。


by j6ngt | 2006-04-20 02:46 | 歴史

「ベルリン・フィル、ヴァルトビューネ」(ピクニック・コンサート)」←音楽は、楽しい。

◆昨夜「ベルリン・フィル、ヴァルトビューネ」2005を教育テレビで放送していました。

昨日のうちに書くつもりだったのですが、興奮冷めやらず、書けませんでした。

昨日の夜NHK教育テレビ「芸術劇場」で「ベルリンフィル・ピクニック・コンサート」を放送していました。

ベルリン・フィルが毎年6月頃にベルリンの北西地区のシャルロッテンブルク(Charlottenburg)にある「ヴァルトビューネ(Waldbuehne)の野外音楽堂」で行うコンサートです。

野外なので、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートよりももっと気楽です。聴衆は何と2万人も来ます。

皆、芝に横になったり、サンドイッチをつまんだり、ビールを飲んだり、自由です。勿論服装もTシャツとか普段着です。線香花火で遊んでいる人までいます。

幼い子供を連れてきても構いません(普通のコンサートには連れてこないのが世界の常識です)。

そんな風に気楽に世界一のオーケストラの演奏を聴けるのです。羨ましいなあ。


◆「音楽って楽しいなあ」と素直に思えるのです。

私は残念ながら行ったことはありませんが、毎年NHKが放送するのを楽しみにしています。

というのは、ヴァルトビューネでは、聴衆がリラックスしているので、ベルリンフィルのメンバーも普段の演奏会よりはリラックスしているけど、絶対に手を抜いたりしません。

本当にいつも名演なのです。そして、聴衆はサンドイッチなど食べているけど、ちゃんと音楽の勘どころを押さえていて、名演奏の後には大変な歓声と拍手が湧きます。

やはり「西洋音楽の遺伝子」が身体に組み込まれているのでしょう。

聴衆も音楽家も指揮者も皆、笑顔です。こういう風景を見ていると、「ああ、音楽ってたのしいなあ」と思うのです。

世界中、このように音楽を聴いて、皆が楽しく平和に過ごせたらどんなに良いだろう・・。と考え、私は泣きそうになりました。


◆昨日は、フランスもの(フランスの作曲家の作品)が中心だったのです。

毎年、ロシアものとか、スペインとか、あるのですが、昨日はフランスものだったのです。

ラベック姉妹というフランス人の美人姉妹ピアニストがおりますが、この人達をゲストにプーランクという作曲家の「2台のピアノの為の協奏曲」と、

サンサーンスの「動物の謝肉祭」を演りましたが、ラベック姉妹は美人だから呼ばれたのではありません。ベルリンフィルはそういうことはしない。

上手くなければ絶対にベルリン・フィルのソリストには呼ばれないのです。実際に滅茶苦茶上手かったですね。ラベック姉妹。

それから、動物の謝肉祭の中にチェロ独奏曲の代名詞、「白鳥」があるのですが、これが美しかったですねえ・・・・。

実に夢のように美しい。やはりベルリンフィルってすごいです。

全員がソリストとして通用する音楽性と技術を持っている、ということです。


◆そして、「ボレロ」を演りました

今調べたのですが、私は過去において、随分何度も「ボレロ」のことを書いています。

「ボレロ」のトロンボーン 芸術の厳しさが最初で、ラベルの誕生日です。「ボレロ」って知っていますか?とか、今日は、「ボレロ」が初演された日。音楽あれこれ。とか。

何かしら、かこつけて、ボレロのことを書いていますね。何度聴いてもいいですね。きのうも名演だったなあ。



最初のフルートソロはエマニュエル・パユ、という2枚目フランス人奏者でした。

あの人は23歳でベルリンフィルの首席になったのです。

日本が大好き。日本食が世界で一番好きだそうです。私は見られなかったけれども、「徹子の部屋」に出たこともあるらしいですね。

彼のフルートを堪能したい方は、モーツァルトの協奏曲のCDあたりから聴くのがいいでしょう。



話を音楽に戻します。

ボレロの冒頭のフルートソロというのは、フルートにとっては一番低いオクターブを使い、最低音の「ド」の音が出てきます。パユは、このドを朗々と響かせていましたね。見事です。

そして、トロンボーン!

過去に何度も書いたのが、リンク先をご覧になると分かるけれど、ボレロのトロンボーンソロっていうのは本当に難しい。

曲が始まってから7分間ぐらい一度も音を出さないでいて、いきなり、「ソロで」「最高音域のBフラットから」吹き始める。

ちょっと間違えると一音上か下の音が出てしまうんです。そして、ソロの終わりは低音です。



昨日も上手かったねえ・・。惚れ惚れしてしまいました。

私はコンサートでも滅多なことでは「ブラボー!」と叫ぶことは殆どないのですが、昨日はテレビに向って「ブラボー」で、スタンディング・オベーションをしてしまいました。


◆序曲「ローマの謝肉祭」ベルリオーズ

話が前後しますが、ラベック姉妹などが出る前、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」という、有名な曲を演りました。独立した曲です(レスピーギの「ローマの松」じゃないですよ)。

「序曲」という言葉を音楽のタイトルに付けるとき、二つのケースがあります。一つ目は、「本当の序曲」つまり、歌劇の序曲の場合です。、「歌劇フィガロの結婚序曲」という具合。

この場合、「序曲」は後ろに来ます。

二つ目。歌劇があるわけじゃないけど、独立した序曲という形式がありまして、その代表格が、この、ベルリオーズの「序曲 ローマの謝肉祭」やベートーベンの「序曲 レオノーレ第3番」です。

そのときは、このように「序曲」を曲名の最初に付けるのが習慣となっています。



それはさておき、「序曲ローマの謝肉祭」は、序奏部では長いコールアングレ(イングリッシュ・ホルン)の牧歌的なソロがあります。

その後俄然、生命力のほとばしる、本当に、イタリアの燦々と輝く太陽を彷彿とさせるようなワクワクする音楽になります。リズムのキレの良さが肝心です。

中でも活躍するのが、タンバリンです。ベルリオーズは、タンバリンパートを二人の打楽器奏者で演奏する用に指示しています(楽譜上で)。

これを時々一人で演らせる指揮者がいますが、ダメ。

ローマの謝肉祭と云ったら、何が楽しみって、二人のタンバリンソリ(ソロを複数で弾くのをソリといいます)なんだから。カッコ良いんだ。これが。

曲の最後は金管を中心としたフォルティッシモのアッコード(和音)が華やかに空気を貫きます。

この最後の音を聴くと、これほど楽しい曲なのに、私はいつも泣けてしまうのです。

ああ、これが、オーケストラだ!これが金管だ!何たる、輝かしさ。何たる音楽の喜び!


◆「ヴァルトビューネ」のDVD楽しいですよ。小澤さんとか。

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートのみならず、このヴァルトビューネもDVDになっています。

小澤さんは、わたしの覚えているのは、1993年と2003年ですが、ヴァルトビューネ1993 ロシアン・ナイトが楽しいですよ。

「ロシアン・ナイト」というと、何だか怪しげですが、要するにチャイコフスキーの「くるみ割り人形」とかボロディンの「だったん人の踊り」(絶対、聞いたことあると思います。皆さん。)とか、「剣の舞」とか。

「剣の舞」なんてパーカッション(打楽器)とブラス(金管)がノリにノッて演奏してます。でも、そういうときでもいい加減な、乱暴な演奏にならないのがさすが天下のベルリンフィル。

Amazonで「ヴァルトビューネ」でDVDを検索してみると、他にも面白いのがあります。

あの3大テノールの一人、ドミンゴが指揮をした年があります。

今年のウィーンフィルのニューイヤーコンサートを振った、マリス・ヤンソンス氏も実は数年前にヴァルトビューネを振っています。

クラシックは堅苦しいと言う方。こういうのを見て下さいな。


by j6ngt | 2006-04-18 00:59 | 音楽

「東大の講義をビデオポッドキャスト」小柴先生の講義に感銘を受けました

◆記事:「東大の講義をビデオポッドキャスト」

東京大学は4月12日から、講義のビデオポッドキャストを始めた。ノーベル物理学賞を受賞した小柴特別栄誉教授などの講義映像を、Webサイトから無料でダウンロードできる。

講義情報のネット公開プロジェクトの一環で、大学の講義や公開講座の映像を配信する。

第1弾として、小柴栄誉教授や小宮山宏学長など4人が「物質の科学」をテーマに1、2年生向けに講義した映像の冒頭20分を配信した(ITmediaニュース) - 4月13日11時24分更新


◆コメント:有難い世の中である。

私は、毎日朝から晩まで様々な情報を収集することを仕事にしている。

中心となるのは政治経済の分野で、だからこのような日記・ブログを書く気になったわけである(余談だが、4月15日で、エンピツに登録してから4年になる)。

それでも、色々な情報源を見ている間に、仕事には無関係だが非常に面白そうな記事を見かけることが毎日必ずある。

今日(4月14日)も、偶然、上に掲げた記事を見つけたが、仕事中にpod castingを訊くヒマは無いし、そもそも会社のパソコンにはiTunesなどインストールしていないので、物理的にも不可能である。



で、帰宅後聞いてみた。

東大のポッドキャスティングだけのことはあって、題名が

「学術俯瞰(ふかん)第一回:小柴昌俊『宇宙と素粒子-物質はどのように作られたのか』」

と重々しい。

ところが、小柴先生のお話は驚くほどやさしく、丁寧なものだった。感激してしまった。

そこで、講義の冒頭をほんの一部だが、文字におこしてみたので、お読みいただきたい。
皆さんこんばんは。

今日、私がこのシリーズの最初に喋ってくれ、と云われたのは、「物質はどのようにして生まれてきたか」と言うことなんですが、実はね。これは、大変に難しい問題なんですよ。

あのね。あなた方はそう思わんかも知れないけどね。立派な学者っていうのはね、「沢山のことを知っている人」じゃないの。

「知らないことがこんなに沢山あるぞ」と言うことを痛感しているのが、立派な学者なんですよ。

そういう意味でね。私の今日の話の中でね。「こういうことも分かってないんだぞ、ああいうこともわかってないんだぞ」ということが沢山出てくるのを、あなた方は知ることになると思う。

それともう一つ。

今日の講義は文化系の人も聞いているということをさきほど知らされたんだけど、私の講義には数式は一切使わない。だから虚心坦懐に聴いてください。



まず最初に物質はどのようにして作られたのかという大問題なんですけどね。これはね。皆さんも知っているように、どの宗教でも「宇宙の始め」というおとぎ話が出てきます。

ですから、今から百年以上前の人達に、「この世の中はどうやって始まったんだ?」って訊いたら、必ず「神様」を持ち出してきたはずです。

で、神様を持ち出してきて説明するってのは、一番“easygoing”なの。ってのは、神様ってのは何でも出来ることになってますからね。

それでね。神様を持ち出さないで理解しようとし始めたのが、あなたがたも、もう知っていると思うけど、「ルネッサンス」という動きですよね。



じゃあ、今、振り返ってみて、「物質はどういう風に出来たのか?」と言う問題を考えた人が、もう何年も前からいます。

今から半世紀以上前に、ロシア生まれの物理学者で、ジョージ・ガモフという人がいました。

或いは皆さんの中で、「不思議の国のトムキンス」という本を読んだことがある人がいるかも知れないけど、それを書いた人です。

このガモフって人がね。「宇宙の一番最初はどうなっていただろうか」ということを頭の中で考えました。で、どういう結論に達したかって云うと、

我々の宇宙の一番最初は、うんとエネルギー、つまり温度が高くて、密度がとても高い「中性子」という粒子の塊だったのだ、と、そういう風に「仮定」したんですね。

科学ってのは、大体、最初ゼロから全部説明するなんてことは無いわけね?

必ず、こういう「仮定」から出発して「じゃ、こういうことが説明できるか?」という論法になるわけです。


◆感想:冒頭を聴いただけで感銘を受けた。

この後、合計20分間の放送なので講義の一部しか聞けないのだけれども、私は、いやしくもノーベル物理学賞受賞者である小柴先生の講義を自宅で、無料で聞かせていただけることを忝なく思った。

お話の内容も興味深いが、小柴先生のお人柄に惹かれる。



世の中には大したことがないのに偉そうな顔をする学者もいる。

「自分は頭が良いから、頭の悪いお前らに教えてやるのだ」、という雰囲気をぷんぷんと臭わせるような話し方をする学者もいる。

反対に、「それでも学者か?」とこちらが問い質したくなるぐらい、大衆に迎合的で、テレビに出演しては小遣い稼ぎばかりしている者もいる。



小柴先生は、そのどれにも当てはまらない。「権威」を笠に着るというところが皆無である。

そもそも、小柴先生ぐらいの大先生にもなると、素人にも(文系の学生にも聞いているし、恐らくポッドキャスティングを通じて一般人が聴くこともしっておられただろう)分かるようにかみ砕いた話をする、などということは、面倒がったり、「自分のような『偉い』学者の仕事ではない」と公言する人すらいる。

ところが小柴先生は、可能な限り易しくかみくだいて、ゆっくりと話しておられるが、講義の中に、今なお「サイエンスへの情熱」を感じて、私は胸が熱くなった。

それは、ご自身の「サイエンスへの情熱」もさることながら、「若い人たちにサイエンスに興味を抱いて欲しい」という情熱、が伝わるからである。


◆「何が分からないのか、を自覚しているのが偉い学者だ」という一言。

私が文字に起こした「講義録」(?)の冒頭をもう一度お読みいただきたい。

あのね。あなた方はそう思わんかも知れないけどね。立派な学者っていうのはね、「沢山のことを知っている人」じゃないの。「知らないことがこんなに沢山あるぞ」と言うことを痛感しているのが、立派な学者なんですよ。

私は、この言葉を伺って、深く得心がいった。

生意気盛りの学生は「当たり前だ」で終わらせるだろうが、そうではない。

この言葉に小柴先生の小柴先生たる所以(ゆえん)があるのだと思う(「だと思う」という書き方をしたのは、私は直接先生に接したことがないからである)。

私は四十年以上生きてきたが、これほど謙虚な言葉を率直に口にする学者を知らない。



先ほど書いたばかりだが、学者のみならず、世の中の「賢い人々」の中には、「自分はこれも知っている、あれも知っている。こういう難しい理論も理解出来る。お前ら分からないだろう?」という態度を露骨にする者が大勢いる。

それどころか、自分が知らないことを「知らない」と言えず、分からないことを「分からない」と認めたがらない人も大変多い。

こういう人達とは対照的に、ノーベル物理学賞受賞者の小柴先生は、「自分、又は今の科学では分からないことがまだまだ、沢山ある」と自覚しているのが立派な学者だ、と仰る。

賢明なる読者諸氏にはお分かりだと思うが、念のために僭越ながら補足させていただくと、小柴先生が自らを「立派な学者」だと公言しているのではない。

小柴先生は学者の「あるべき姿勢」を示し、ご自分もそう自戒して勉強してきた、と仰りたいのである。


◆カスタマーレビューでは誰もそのことに触れていない。

何事にも人それぞれ、異なった感想を持つのが当たり前だが、ちょっとがっかりした。

iTunesでカスタマーレビューを読むと、小柴先生がこれほどかみ砕いて話してくださるのを聴いて感激した、尻切れトンボで(何せ20分だから)がっかりした、何だか良く分からない、難しすぎ、など様々だが、

要するに、講義の本来のテーマ、「物質がどのように作られたか」というテーマにのみ囚われているのである。

それはそれで当然かもしれないが、私が強調した冒頭の一言の重みに触れている者がいないのは残念ですな。



やはり若い人には分からないのだろうね。

いろいろ経験し、色々な人間を世の中で見たことがないと、今、小柴先生の講義(それがほんの一部でも)を聴ける自分の幸運や、小柴先生のような人物が滅多にいるものではない、ということは分からない。

ある程度はやむを得ない。しかし、「何だか良く分からない、難しすぎ」とわざわざ書き込む馬鹿にはあきれる。


◆すぐ諦めるな。

ここ数年、企業の現場でも、新人の「忍耐力のなさ」が話題になることが多い。

困難な仕事に遭遇すると、すぐ嫌になり放り出す。

ちょっと叱ると、男の子が泣く(会社でですよ?)。泣くだけならまだしも、一回叱ったら辞めてしまったというのもいる。



勿論、そうではない人の方が多いのだろうが、この「何だか良く分からない」奴はどうせ一度しか聴いていないのだろう。分かろうと努力する習慣が身に付いていないのだ。

そもそも大学の講義は一度しか聴けないものだ(自分で録音しない限り)。それをポッドキャスティングでは何百回でも聴けるのである。それを利用しようとしない。

また、講義とは学者が一生をかけて勉強したことの一部分を説明しているのだ。

ましてや小柴名誉教授はノーベル物理学賞受賞者であり、いくら易しく説明してくださると云っても、次元が違う。

ちょっと聴いただけで、理解出来るだろうと考える方が僭越である。


◆文句を付けることばかり考えていては、ダメだ。

ネット上に見られる、本の感想や、今回の講義の感想を読んでも分かるのだが、世の中、あら探しにばかり夢中になり、「そこから何かを得よう」という気持ちが弱い人が多い。

今回のポッドキャスティングに関して云えば、講義が尻切れトンボだろうが、何かを得られたはずで、それを自覚しようとしないから文句ばかりになる。

本も同様である。一冊丸ごと全面的に大賛成、とか面白くて読み出したら止まらない、などという本は滅多にないのだ。それでも「何か」は得られる。

得られるかどうかは、読み手の姿勢によるのだ。



私は、小柴先生の

「立派な学者っていうのはね、『沢山のことを知っている人』じゃないの。『知らないことがこんなに沢山あるぞ』と言うことを痛感しているのが、立派な学者なんですよ。」

この言葉を伺っただけで、講義(の一部)を聴いた甲斐があったと思っている。


by j6ngt | 2006-04-15 19:00 | 科学

「NHK職員、カラ出張」←職員の不祥事はNHKに対する受信料不払いを正当化しない。

◆記事:NHK 職員がカラ出張 1762万円着服、懲戒免職に

NHKは11日、報道局スポーツ報道センターの大下哲史チーフプロデューサー=CP=(43)が、01年1月から今年4月までの約5年間に計242回のカラ出張申請を行い、

旅費や日当1762万円を着服していたと発表した。同日付で大下CPを懲戒免職処分にするとともに、警視庁に被害届けを出すことを検討している。

NHKは一連の不祥事や受信料不払い急増を機に改革に取り組んできたが、そのさなかに続けられていた不正だけに、視聴者の反発を呼びそうだ。

NHKによると、大下CPは00年6月から札幌放送局でスポーツ中継業務を担当、昨年6月に現在のスポーツ報道センターに異動となり、主にサッカーの試合中継を担当していた。

カラ出張旅費を申請する際、いったん航空券を購入して領収書を入手し、その後、転売するなどしていたという。今月初旬、東京から福岡、大分を経て東京に戻る日帰り出張の旅費申請。

不審に思った上司に追及され、カラ出張を認めたという。着服した金は服飾費や飲食費にあてていたが、全額弁済している。

また、NHKは理事2人と大下CPの当時と現在の上司計12人を出勤停止や減給などの処分にした。

NHKの橋本元一会長は同日、「視聴者の皆様の信頼を取り戻すため、全力で改革に取り組んでいる矢先に、信頼を再び損なう行為が明らかになったことは痛恨の極みで、心からおわび申し上げます」

などとするコメントを出した。(毎日新聞) - 4月12日9時41分更新


◆記事2:受信料不払いの罰則化容認 民放連会長、NHK改革で

日本民間放送連盟の広瀬道貞会長(テレビ朝日会長)は12日、共同通信の取材に対し、NHK受信料の支払い義務化を容認する姿勢を示し、「不払い者への罰則導入もやむを得ない」との考えを表明した。

広瀬会長は、NHKの受信料不払いが全世帯の約3割に達し、支払っている視聴者の間に不公平感が広がっていると指摘。

支払いを義務化して罰則を導入する場合には、NHKのチャンネル数を削減して受信料を引き下げるなど「全員が公平感を持って払う仕組みを作ることが重要」と述べた。

NHKの経営体制については「NHKの経営委員会には常勤の経営委員を置き、国会や政府に責任を持たせる必要がある」と語った。(共同通信) - 4月12日18時14分更新


◆コメント1:「またこれで、NHK受信料を払わない理由が出来た」とほくそ笑んでいる人がいるのでしょうね。

同じことを何度も書くのは疲れるものである。

昨年、NHK職員が放火犯だったことが発覚した時に、私は「<NHK記者逮捕>視聴者の不信感に再び火」←受信料不払いの理由にはなりませんよ。という記事を書いた。その時と全く論理は同じなのでご参照いただきたいのだが、それだけでは手抜きなので、もう一度書く。

「NHK受信料の支払は法律上の義務ではない」

「経営体質が納得出来ない」

「職員が不祥事を起こす」

ことは、いずれもNHK受信料不払いの理由にはならない。


◆コメント2:NHKはインフラ(社会資本)なのですよ。

NHKはインフラ(インフラストラクチャー。社会資本。道路・港湾・鉄道・通信・電力・水道など)である。民放も放送はできるが、全国津々浦々まで電波を届けることができるのはNHKだけだ。

緊急時に一斉に全国民に連絡するシステムを確保するためには、NHKが絶対に必要である。



昨日書いたばかりだが、郵政民営化と同様である。

日本の放送局が全て民放になったら、人口数百人の離島まで電波を届かせるために、施設を作る、などという不採算なことは絶対にしないだろう。

だから、受信料で運営するしかないのだ。

「受信料の支払は法律上の義務でないから支払わなくても良い」という人は、単なるケチで、払わなくても罰則が無いから払わないだけではないか。

ところで、受信料を支払わない貴方。NHKを絶対に見ないのですか?

トリノオリンピックで2月23日(現地時間)荒川静香選手が金メダルを獲得したとき、最高視聴率は31.8パーセントを記録した。

受信料を払っていない人、まさか、見たんじゃないでしょうね?

見て払わない人は、何故、自分が払わなくても見られたのか、考えただろうか?

何故かと云えば、視聴者の7割に相当する人々が真面目に払っているからである。


◆コメント3:インフラ(社会資本)なのだから、国民が平等に負担するのは当然である。

前段落で、受信料を払わない人はまさか、NHKをみていないでしょうね?と書いたが、実はそれは関係ないのだ。

「自分は車を運転しないから、高速道路建設に使われる分、税金を安くしてくれ」、という人はいないだろう。

「自分には子供がいないから、学校建設に使う分だけ税金を安くしてくれ」という人はいないだろう。

「自分は健康だから、保険料を下げてくれ」という人はいないだろう。

NHKとて同様である。税金じゃないから、罰則がないだけだ。


◆コメント4:「経営体質が不満」という方。具体的に指摘してください。

「NHKの経営体質が気に入らないから受信料を払わない」という人もおられる。

「経営体質」ねえ・・・。

そういう方々に伺ってみたいのだが、NHKがどういう経営体質ならば、払うのか?

A4のレポート用紙一枚に、要点をまとめて提出できますか?

経営体質と言ったって、色々な要素がある。

経理、資金運用の現状と計画、設備投資計画など(要するに財務ですね、)、人事(人事評価システム、給与体系など)、新技術開発の現状と計画、番組編成、番組内容、等々。

放送業界に関しては全くの素人の私でも、すぐにこれぐらいの項目を思いつく。

「NHKの経営体質が気にくわない」という方は、当然、これらを把握しておられる訳ですよね(知らないのに、気にくわないもへったくれもないはずだ)?

仮に、NHKの経営体質をよく研究し、知っていたとしても、人それぞれ思想が違うのだから、視聴者全員が納得する「経営体制」を構築することなど、出来るわけがない。

即ち、「経営体質が気に入らない」ことはいずれにせよ、受信料不払いの正当化事由には成り得ない。


◆コメント5:NHKにも国家権力は介入するだろうが、民放はもっと制約がある。核燃料再処理の例。

記事2を読んで下さい。民放連の会長まで、受信料不払いに対する罰則もやむを得ない、と言っている。

民放だけでは出来ないことをNHKがやっていることを理解しているからだ。

例えば、以前、テレビ朝日「報道ステーション」が、核燃料リサイクルの問題点を特集で取り上げようとした。

核燃料再処理、核燃料リサイクル、プルサーマル等という言葉を聞いたことがあるでしょう?

ところが「リサイクルだからいいことじゃないか」という単純な話ではないのである。

それに関しては、私も素人だが、以前「再処理政策継続の中間報告 15日に地元に伝達 」 再処理工場は原発より、危険なのですという記事でまとめたので、ご覧頂きたい。

さて、その危険性についてテレ朝が取り上げようとしたら、番組のスポンサーである有名電気関連企業から、猛烈なクレームが来た。

この会社は家電を作っているから誰でも知っているが、核燃料リサイクルの設備も手がけており、実現すれば大儲けなのだ。

だから、核燃料の再処理の問題点を国民に知らせるな、とテレビ局に詰め寄ったわけである。

何度も書くが、民放にとって「スポンサーは神様」であるから、逆らえない。特集はボツになった。

この話は某現職若手衆議院議員がメールマガジンに書いていたのだが、暫く経ってから彼のサイトを見たら、通常、メルマガのバックナンバーは全て載っているのに、この件について書いた稿は削除されていた。

(わかりますね?政党も大企業からの多額の献金で支えられているのです。)

勿論、NHKにも圧力はあるだろうが、民間企業をスポンサーとする民放よりは自由度が高い。


◆コメント6:個人の不祥事は、彼(又は彼女)が属する法人に対する債務を免除しない。

「こんな不祥事ばかり起こす会社にカネなど払えるか!」という人もおられよう。

しかし、NHKとの受信契約の相手方は、あくまでも法人たるNHKであり、不祥事を起こした職員ではない。

従って、個々の職員が不祥事を起こしたからと云って、NHKに対する債務が消滅するという論理は成り立たない。

それは、「<NHK記者逮捕>視聴者の不信感に再び火」←受信料不払いの理由にはなりませんよ。で例を挙げたが、もう一度書いておく。

「NHK職員が放火犯であったから、受信料の支払いをしなくても良い」という論理は、

「或る企業に属する人間が犯罪を犯したら、その会社から、財・サービスを購入しても、それに相当する対価の支払い債務は消滅する」という論理である。

すると、次のような主張をしても構わない、という結果になる。実際に存在する企業名を使わせていただいたが、あくまで仮定上の話である。

架空の名称を使うよりも、現存する固有名詞を用いた方が、分かりやすいからである。例えば、


  • 日産自動車の職員が通勤途中に痴漢行為をはたらいたら、日産自動車からクルマを購入して、まだ、ローンを支払っている最中の人間は、ローン残高の支払い義務が消滅する。

  • NTTの職員が女性のスカートの中を盗撮したら、電話料金は払わなくて良い。

  • 東京ガスの社員がひき逃げをしたら、ガスはタダで使いたい放題。
  • ソニーや富士通やNECや、IBMの職員が万引きをしたら、パソコン店から、それらの会社のパソコンを勝手に持ち出し、料金は一切支払わなくても構わない。

  • 石油元売り各社の社員が、酔っぱらって他人に怪我をさせたら、その会社のガソリンスタンドで、いくらガソリンを入れても、ガソリンは無料だ。



このように考えると、「NHK職員、カラ出張」→「受信料不払い」が全然正当な理由にならないことがお分かりになるのでは無かろうか。

今日は、NHKのエラい人が国会に参考人招致されて、散々虐められたようだが、これは日本独特の習慣だ。

不祥事を起こしたのは大人だ。横領がれっきとした犯罪であることを知った上で横領したのだから、本人が悪いのである。

NHKが悪いとすれば、経理上の監査が甘かったということであるが、それは二次的な責任である。

或る個人が犯罪行為に及んだとき、その責任は行為者本人に帰するのであり、彼の職場の責任ではない。NHKの上司が謝る必要は無いのだ。

それとも、日本の会社(NHKは株式会社ではないが、似たようなものだ)は、大学を出た新入社員に「犯罪を犯してはいけません」と、教え諭さなければいけないのだろうか?


by j6ngt | 2006-04-14 23:16

「時間外窓口サービス廃止 郵政公社、3600局」私は、昨年「民営化に必然性が認められない」と書いた

◆記事:時間外窓口サービス廃止へ 郵政公社、3600局で

日本郵政公社は12日、郵便物の集配拠点となっている全国約4700の郵便局の再編に関連し今年9月以降、約3600局で順次、郵便物の引き受けなどの時間外窓口サービスを廃止する方向で検討を始めた。

将来的には現金自動預払機(ATM)の取扱時間も短縮する意向だ。

2007年10月の郵政民営化を控え人員配置を効率化、コストを削減するのが狙い。

公社は何らかの代替措置で利用者へのサービス低下を防ぐとしているが、過疎地などでどこまで現状のサービスを維持できるのか不透明で、自民党や地元から反発が出そうだ。(共同通信) - 4月12日9時50分更新


◆コメント:郵政民営化選挙で小泉を圧勝させ、今更、「反発」しても遅い。

「だから、いわんこっちゃない」と云う言葉を、したり顔で問題が起きた後から書くのは狡い。

しかし、私は昨年、民営化には反対だという私見を、小泉内閣の郵政民営化プランには、緊急性、必然性が認められない。と題して書いたので、云わせて貰う。

「だから、いわんこっちゃない」

尤も、正確に書くならば、私は「時間外サービスの廃止」については触れていない。だが、そういう細かい各論が問題なのではない。

そもそも、私が昨年書いた文章の内容には何の独創性も、ひらめきもない。常識で考えればわかる、余りにも当たり前のことだったのだ。

つまり、「民営化される」ということは、「郵便局が商売人になる」ことなのだから、必然的に、採算が取れないサービスや営業拠点は廃止される。

民間企業になる以上、収益の極大化が目標となる。そのためにはコストを可能な限り切りつめるのは、当然なのだ。


◆「甘受すべき不利益」

共同通信の記事の最後に、

「過疎地などでどこまで現状のサービスを維持できるのか不透明で、自民党や地元から反発が出そうだ。」

と書いてあるが、それは理屈に合わない。



「郵政民営化選挙」で、自民党を圧勝させたのは、自民党に投票した有権者だ。

自民党は、選挙前や選挙期間中、民営化しても過疎地の人々が不便にならないようにする、といっていたが。

少し考えれば、そんな言葉は選挙用であることは見え透いていたし、政治家は平気で約束を破ることは、経験則から明らかだ。

郵便局を民営化したら、不採算店が切り捨てられるのは、自明の理だった。


◆結論:

この記事の内容に限って云えば、「時間外窓口サービス廃止」によって受けるであろう不便さは、有権者の選択の結果である(死票も非常に多かったが)。

不便になっても仕方がない。

こう言うのを「当然甘受すべき不利益」(本当はいやだが、我慢しなければならないこと)というのだ。


by j6ngt | 2006-04-13 01:46 | 郵政民営化