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「ヴァルトビューネDVD」続報、「スクリーマーズ~サーカス・マーチ名曲集」やたらと上手い吹奏楽

◆「ヴァルトビューネ」DVD、喜んで頂けたようです。

先日、ベルリンフィルが毎年行う野外コンサート、「ヴァルトビューネ」(ピクニック・コンサート)のことを書きました。

その中で、1993年に小澤征爾さんが振ったヴァルトビューネ1993 ロシアン・ナイトは楽しいですよ、とお薦めしたのですが、実際に買って聴いた(見た)という方から、大変楽しかったと感想を頂きました。有難うございました。

実際楽しいですよ。くるみ割り人形、剣の舞の他、私は忘れていたのですがボロディンの「だったん人の踊り」という曲があります。これはどこかで聴いたことがある、と言う方が殆どだと思います。

曲の中頃、オーボエが吹くメロディーを聴いて「美しい」と感じる人はとても多いでしょう。

これを聴くと、私は「切なさ、懐かしさ、郷愁」という言葉をいつも連想します。勿論、きくひとそれぞれ、勝手なイメージで聴けば良いのです。

とにかくベルリンフィルは皆名手ですけど、この時はシュレンベルガーという人だと思うのですが、背筋がゾクゾクするほど美しい。



クラシックでDVDというとオペラを考える方が多いでしょうが、コンサートも「見る」ものなんですよ。

フィギュアスケートのおかげで、日本人全員が、トゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」というアリアの名前とメロディーを覚えました。

だけどね。あれはオペラのほんの一部のそのまた一部、全体の百分の一ぐらいなんですから。

「トゥーランドット」全曲聴くか見るかしてご覧なさい。つまらんよ。たまらないよ。耐えられないよ。私はオペラは好きじゃないですね。バレエの方がいいですよ。

ロンドンにいましたから、ロイヤル・バレエで熊川哲也氏がプリンシパルだった頃に、「ジゼル」(という有名なバレエ)を始めとして何度も見ました。吉田都さん(今も現役)も見ました。あれは美しい。

人間の身体の動きの美しさ、ということです。

話が逸れましたが、そういうわけで、ヴァルトビューネ1993 ロシアン・ナイトはますます自信を持ってお薦め出来ます。

他の指揮者もどれも、皆楽しいです。


◆「スクリーマーズ~サーカス・マーチ名曲集」(イーストマン・ウインド・アンサンブル)

私は、この日記では、アメリカに関しては圧倒的に批判的な記事が多いですが、アメリカにも良いものは沢山有ることぐらい分かっています。

私がそれを実感する最も手っ取り早い方法は、やはり、音楽です。

今日御紹介するのは、イーストマン音楽学校というアメリカ有数の名門音楽学校の吹奏楽団が、サーカスの時に演奏する景気が良い音楽ばかりを集めたものです。

私はアメリカが嫌いになりそうだと、心の平衡を保つために、このCDを聴くことがあります。スクリーマーズ~サーカス・マーチ名曲集です。

「サーカス」「マーチ」「吹奏楽」というとバカにする人がいるでしょうが、まあ聴いてみなさいって。あまりの上手さに驚きます。

録音は何と1950年代ですから、私の生まれる前なのに、CDの音質は信じられないほど良好です。

リンクを貼った国内版のページだと試聴できないので、全く中身は同じですが、こちらの輸入盤のページに飛んで下さい。そこでは試聴できます。

この試聴用音源、いくら何でももう少し音質を何とかしてほしいけど、それはともかく、手始めに、トラックナンバー7“The Circus Bee”を聴いてください。

吹奏楽では当たり前ですが弦楽器は(例外的にコントラバスを含む場合がありますが)いないので、必然的に管楽器は吹きっぱなしになります。

最初からラッパが軽快な速いメロディーをすらすら吹いていますがこの音はトランペットに似ていますが、ちょっと柔らかいでしょう?コルネットという楽器で吹いています。試聴用音源の終わりでちょこっとしか聞こえませんが、コルネットの速い動きに呆気にとられていると、トロンボーンのこれもまた、とても速いパッセージが出てきて驚きます。

「えっ!トロンボーンって、こんな速いの、吹けるの?」と思われることでしょう。


◆この指揮者はフレデリック・フェネルという人です。

イーストマン音楽学校(音楽学院)はれっきとしたクラシックの音楽学校で、何もイーストマン・ウィンドアンサンブルはサーカス音楽ばかりを吹いていたわけではありません。

大変レパートリーが広いのですが、この吹奏楽団を作ってずっと指揮者を務めていたのがフレデリック・フェネルという、吹奏楽の世界では知らない人がいないぐらいの有名人です。

一昨年無くなりましたが、晩年、日本の佼成吹奏楽団の指揮者をしてくれていました。夢のような話でした。


◆すこし凹んだときなど、最適。

本当に気持ちが落ち込んだときというのは、何をしてもダメで、音楽を聴く気持ちにすらならないものです。

すこし回復しても、いきなり明るい曲を聴いてはダメらしいですね。

音楽療法では「同質性の原則」というらしいけど、暗い気持ちの時は暗い曲から聴き始めて、次第に明るくしてゆく。

気持ちが暗いのに、明るい音楽でドンチャン演られると余計に落ち込むからです。

しかし、大抵そこまで落ち込む事はない。日常のちょっとしたことで元気が無いというときなど、この「スクリーマーズ」は大変気持ちを明るくしてくれます。

単に明るいのではなく、きちんとした音楽性に裏付けられた、コントロールされた演奏だからです。

アメリカ人がよく口にする、“Are you happy?”という言葉が聞こえてきそうな音楽です。


by j6ngt | 2006-04-29 09:43 | 音楽

お薦めCDシリーズ シュターツカペレ・ドレスデンの「金と銀」←きれいですよー。

◆世界最古のオーケストラ「シュターツカペレ・ドレスデン」

シュターツカペレ・ドレスデンというのはオーケストラの名前です。

日本語にすると、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団になります。

ドレスデンというのはドイツの一番東にあるザクセン州(因みにドイツに連邦州は16あるそうです)の州都です。

そこにある国立歌劇場のオーケストラ。オペラが専門なのですが、コンサートもやります。

シュターツカペレ・ドレスデンは「世界最古のオーケストラ」と言われています。本当はもっと古いのがあったのですが、廃れてしまったので現存のオケでは世界最古ということです。

勿論古ければ良いってものじゃないですね。ドレスデンが有名なのは古いからではなく上手い、そして「音」です。

重厚な、生で聞くと聴き手の全身の細胞に、「ズシン!」という重量感のある音が届く。それがたまらなく好きだという古くからのファンが多いのです。

歴代の指揮者のリストを見ると、ワーグナーとかウェーバー(オペラの「魔弾の射手」とか、ピアノ曲「舞踏への勧誘」を書いた人。

「舞踏への勧誘」は後にベルリオーズがオーケストラ用に編曲したものもしばしば演奏されます)。など、すごい顔ぶれです。


◆「クラシック通」の方はブルックナーを聴けとかいうでしょうが・・・

それでですね。

ドイツのオーケストラは、ドイツの作曲家ベートーベン・ブラームス・ブルックナーを演奏するのがもっともしっくり来るわけですが、

シュターツカペレ・ドレスデンは特に「ズシン!」ですから、ブルックナーを聴けと五月蠅い人が多いです。



しかし、その「ズシン!」で、普通は軽く演奏されがちなウィンナーワルツなどを演奏したCDがあります。

ウィンナ・ワルツ・コンサートです。

あまりにも平凡なタイトルなので見逃しがちなのですが、実は大変な名演が録音されています。

曲目は、


  1. 喜歌劇「こうもり」序曲(J.シュトラウス2世)

  2. ワルツ「ウィーンの森の物語」op.325(J.シュトラウス2世)

  3. ワルツ「天体の音楽」op.235(ヨーゼフ・シュトラウス)

  4. 喜歌劇「ウィーンの朝・昼・晩」序曲(スッペ)

  5. ワルツ「金と銀」op.79(レハール)

  6. ポルカ「浮気心」op.319(J.シュトラウス2世)


です。

「喜歌劇」とは「オペレッタ(オペラよりコミカルで軽いもの)」の訳です。「こうもり序曲」は楽しいですよ。うきうきしてくる音楽です。

ですが、何と言っても、このCDの白眉は「金と銀」ですね。

こういう曲はポップスコンサートで小編成で軽くさらっと演奏されてしまうことが多いのです。

ところが、このときにシュターツカペレ・ドレスデンの指揮者(音楽監督)だった、ルドルフ・ケンペという人は偉いです。

ものすごく真面目に大編成のオーケストラにして、ひじょうに深い音を引き出しています。大変な名演奏だと思います。


◆「金と銀」だけでもお薦めです。

同じ曲でも指揮者によって全然違って聞こえる、名演にも平凡な演奏にもなってしまいます。そこが、オーケストラの面白いところです。

このCD、ルドルフ・ケンプ指揮、シュターツカペレ・ドレスデンによるレハール作曲「金と銀」は名演になったほうの最も素晴らしい例だと思います。

これほど素晴らしい演奏を言語で表現する能力を、私は残念ながら持っておりません。月並みですが「涙が出るほど」美しい。


◆何でも「レッテル貼り」(先入観に支配されること)は禁物です。

さらに、恥ずかしながら告白すると、私はこのCDを聴いたときに、「金と銀」のメロディーの美しさに漸く気が付きました。

これほど美しいメロディーは大作曲家でもあまり残していないと思うのです。

レハールはオペレッタの作曲家で、他には「メリーウィドウ」という有名なオペレッタがあります。

しかし、はっきりいって世間では、「オペレッタ作曲家」はベートーベン、ブラームス、ブルックナーよりも「格」が低い作曲家と見なされています。

私も、そういう「レッテル」に引きずられていました。



「金と銀」なんて、既に何度聴いたか分からない、「クラシック入門曲」で、「オペレッタ」で、という意識が先行して、それまでは「聞き流し」ていたのです。

それが、名指揮者と超一流オーケストラが本気で演奏すると、これほど美しいのだ。ということ。先入観で音楽を聴いてはいけない、ということが良く分かりました。



弦楽器群の奏でるメロディーとハープの音が重なり、陶然とします。

ですが、ただ、漠然と「うっとりムード」で通しているのではありません。

文章に段落があるように、一つの曲は、幾つかの部分から成り立っています。

その変わり目のところをいい加減に弾くと、締まりのない演奏になってしまいますが、ケンペはそこが見事です。

区切れ目のところでは思い切り、バスとティンパニを「ズシン」と響かせるのです。このメリハリが何とも巧みなのだと思います。

フォルテはきちんとフォルテ。ピアノはピアノで弾く。当たり前のことですが、その対照が名演奏の一つの要因になっているのではないかと。

素人考えですが、私はそのように考えました。

「金と銀」のこれ以上の名演は多分、無いでしょう。これは、お薦めです。


by j6ngt | 2006-04-22 11:02 | 音楽

「ベルリン・フィル、ヴァルトビューネ」(ピクニック・コンサート)」←音楽は、楽しい。

◆昨夜「ベルリン・フィル、ヴァルトビューネ」2005を教育テレビで放送していました。

昨日のうちに書くつもりだったのですが、興奮冷めやらず、書けませんでした。

昨日の夜NHK教育テレビ「芸術劇場」で「ベルリンフィル・ピクニック・コンサート」を放送していました。

ベルリン・フィルが毎年6月頃にベルリンの北西地区のシャルロッテンブルク(Charlottenburg)にある「ヴァルトビューネ(Waldbuehne)の野外音楽堂」で行うコンサートです。

野外なので、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートよりももっと気楽です。聴衆は何と2万人も来ます。

皆、芝に横になったり、サンドイッチをつまんだり、ビールを飲んだり、自由です。勿論服装もTシャツとか普段着です。線香花火で遊んでいる人までいます。

幼い子供を連れてきても構いません(普通のコンサートには連れてこないのが世界の常識です)。

そんな風に気楽に世界一のオーケストラの演奏を聴けるのです。羨ましいなあ。


◆「音楽って楽しいなあ」と素直に思えるのです。

私は残念ながら行ったことはありませんが、毎年NHKが放送するのを楽しみにしています。

というのは、ヴァルトビューネでは、聴衆がリラックスしているので、ベルリンフィルのメンバーも普段の演奏会よりはリラックスしているけど、絶対に手を抜いたりしません。

本当にいつも名演なのです。そして、聴衆はサンドイッチなど食べているけど、ちゃんと音楽の勘どころを押さえていて、名演奏の後には大変な歓声と拍手が湧きます。

やはり「西洋音楽の遺伝子」が身体に組み込まれているのでしょう。

聴衆も音楽家も指揮者も皆、笑顔です。こういう風景を見ていると、「ああ、音楽ってたのしいなあ」と思うのです。

世界中、このように音楽を聴いて、皆が楽しく平和に過ごせたらどんなに良いだろう・・。と考え、私は泣きそうになりました。


◆昨日は、フランスもの(フランスの作曲家の作品)が中心だったのです。

毎年、ロシアものとか、スペインとか、あるのですが、昨日はフランスものだったのです。

ラベック姉妹というフランス人の美人姉妹ピアニストがおりますが、この人達をゲストにプーランクという作曲家の「2台のピアノの為の協奏曲」と、

サンサーンスの「動物の謝肉祭」を演りましたが、ラベック姉妹は美人だから呼ばれたのではありません。ベルリンフィルはそういうことはしない。

上手くなければ絶対にベルリン・フィルのソリストには呼ばれないのです。実際に滅茶苦茶上手かったですね。ラベック姉妹。

それから、動物の謝肉祭の中にチェロ独奏曲の代名詞、「白鳥」があるのですが、これが美しかったですねえ・・・・。

実に夢のように美しい。やはりベルリンフィルってすごいです。

全員がソリストとして通用する音楽性と技術を持っている、ということです。


◆そして、「ボレロ」を演りました

今調べたのですが、私は過去において、随分何度も「ボレロ」のことを書いています。

「ボレロ」のトロンボーン 芸術の厳しさが最初で、ラベルの誕生日です。「ボレロ」って知っていますか?とか、今日は、「ボレロ」が初演された日。音楽あれこれ。とか。

何かしら、かこつけて、ボレロのことを書いていますね。何度聴いてもいいですね。きのうも名演だったなあ。



最初のフルートソロはエマニュエル・パユ、という2枚目フランス人奏者でした。

あの人は23歳でベルリンフィルの首席になったのです。

日本が大好き。日本食が世界で一番好きだそうです。私は見られなかったけれども、「徹子の部屋」に出たこともあるらしいですね。

彼のフルートを堪能したい方は、モーツァルトの協奏曲のCDあたりから聴くのがいいでしょう。



話を音楽に戻します。

ボレロの冒頭のフルートソロというのは、フルートにとっては一番低いオクターブを使い、最低音の「ド」の音が出てきます。パユは、このドを朗々と響かせていましたね。見事です。

そして、トロンボーン!

過去に何度も書いたのが、リンク先をご覧になると分かるけれど、ボレロのトロンボーンソロっていうのは本当に難しい。

曲が始まってから7分間ぐらい一度も音を出さないでいて、いきなり、「ソロで」「最高音域のBフラットから」吹き始める。

ちょっと間違えると一音上か下の音が出てしまうんです。そして、ソロの終わりは低音です。



昨日も上手かったねえ・・。惚れ惚れしてしまいました。

私はコンサートでも滅多なことでは「ブラボー!」と叫ぶことは殆どないのですが、昨日はテレビに向って「ブラボー」で、スタンディング・オベーションをしてしまいました。


◆序曲「ローマの謝肉祭」ベルリオーズ

話が前後しますが、ラベック姉妹などが出る前、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」という、有名な曲を演りました。独立した曲です(レスピーギの「ローマの松」じゃないですよ)。

「序曲」という言葉を音楽のタイトルに付けるとき、二つのケースがあります。一つ目は、「本当の序曲」つまり、歌劇の序曲の場合です。、「歌劇フィガロの結婚序曲」という具合。

この場合、「序曲」は後ろに来ます。

二つ目。歌劇があるわけじゃないけど、独立した序曲という形式がありまして、その代表格が、この、ベルリオーズの「序曲 ローマの謝肉祭」やベートーベンの「序曲 レオノーレ第3番」です。

そのときは、このように「序曲」を曲名の最初に付けるのが習慣となっています。



それはさておき、「序曲ローマの謝肉祭」は、序奏部では長いコールアングレ(イングリッシュ・ホルン)の牧歌的なソロがあります。

その後俄然、生命力のほとばしる、本当に、イタリアの燦々と輝く太陽を彷彿とさせるようなワクワクする音楽になります。リズムのキレの良さが肝心です。

中でも活躍するのが、タンバリンです。ベルリオーズは、タンバリンパートを二人の打楽器奏者で演奏する用に指示しています(楽譜上で)。

これを時々一人で演らせる指揮者がいますが、ダメ。

ローマの謝肉祭と云ったら、何が楽しみって、二人のタンバリンソリ(ソロを複数で弾くのをソリといいます)なんだから。カッコ良いんだ。これが。

曲の最後は金管を中心としたフォルティッシモのアッコード(和音)が華やかに空気を貫きます。

この最後の音を聴くと、これほど楽しい曲なのに、私はいつも泣けてしまうのです。

ああ、これが、オーケストラだ!これが金管だ!何たる、輝かしさ。何たる音楽の喜び!


◆「ヴァルトビューネ」のDVD楽しいですよ。小澤さんとか。

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートのみならず、このヴァルトビューネもDVDになっています。

小澤さんは、わたしの覚えているのは、1993年と2003年ですが、ヴァルトビューネ1993 ロシアン・ナイトが楽しいですよ。

「ロシアン・ナイト」というと、何だか怪しげですが、要するにチャイコフスキーの「くるみ割り人形」とかボロディンの「だったん人の踊り」(絶対、聞いたことあると思います。皆さん。)とか、「剣の舞」とか。

「剣の舞」なんてパーカッション(打楽器)とブラス(金管)がノリにノッて演奏してます。でも、そういうときでもいい加減な、乱暴な演奏にならないのがさすが天下のベルリンフィル。

Amazonで「ヴァルトビューネ」でDVDを検索してみると、他にも面白いのがあります。

あの3大テノールの一人、ドミンゴが指揮をした年があります。

今年のウィーンフィルのニューイヤーコンサートを振った、マリス・ヤンソンス氏も実は数年前にヴァルトビューネを振っています。

クラシックは堅苦しいと言う方。こういうのを見て下さいな。


by j6ngt | 2006-04-18 00:59 | 音楽

「日本の中学生が1、2位 仏、バイオリンコンクール」←誰も知らないだろうから、取り上げる。

◆記事1:日本の中学生が1、2位 仏、バイオリンコンクール

【パリ7日共同】フランス北部ブーローニュシュルメールで開かれた若手バイオリニストの登竜門、「メニューイン国際コンクール」のジュニア部門(16歳未満)で6日、宮城県多賀城市の中学1年、郷古廉君(12)が優勝、東京都世田谷区の中学2年、三浦文彰君(13)が2位になった。

郷古君は仙台育英学園秀光中等教育学校1年。5歳の時からバイオリンを始め、2004年には全日本学生音楽コンクールの小学生の部で優勝した経験がある。

今回のコンクールではショーソンの「詩曲」など3曲を演奏した。

三浦君は東京学芸大付属世田谷中2年。コンクールではバッハのバイオリン協奏曲2番などを演奏した。(共同通信) - 4月7日21時40分更新


◆記事2:メニューイン国際バイオリン・コン:ジュニア部門 日本人が1、2位独占

日本の音楽関係者に7日、入った連絡によると、フランスのブーローニュ・シュール・メールで6日まで開かれていた第11回ユーディ・メニューイン青少年国際バイオリン・コンクールのジュニア部門(15歳以下)で

日本の郷古廉(ごうこすなお)君(12)=仙台育英学園秀光中1年=が1位、三浦文彰君(13)東京学芸大付属世田谷中2年=が2位に入った。

同コンクールは若い演奏家の世界的な登竜門の一つで、これまでジュニア部門では神尾真由子さんが優勝している。

郷古君は一昨年の第58回全日本学生音楽コンクール小学校の部全国1位、三浦君は同東京大会2位。

郷古君は音色への感性、ボーイング(弓づかい)の良さなど豊かな才能で小学生のころから大きな注目を集めていた。【梅津時比古】(毎日新聞 2006年4月8日 東京朝刊)


◆コメント:この手のニュースは、全く無視されるが、大変な重みを持っているのだ。

クラシックを題材にしたマンガがよく売れているらしいが、私は、あの表紙を見ただけで、「作者がクラシックを好きで描いているのではない」ことが良く分かる。

細かく指摘することも出来るが余りにも大人げないから、止めておく。

あのマンガの読者は、クラシックの曲の名前をちょこっと知っていると、何となくカッコいい、というので読んでいるのかと思ったら(それでも不愉快だが)、

Amazonのカスタマーレビューで、「クラシックを題材としてこれほど笑えるマンガは無い」というコメントを読み、一挙に血圧が上がった。

ちゃらちゃら、笑っていられる世界ではないのだ。


◆私が、専門家でもないのに、書く理由。

「本当の」音楽の世界は生やさしいものではない。ということを私はこれまでも何度も書いてきた。

玄人が読んだら「知ったかぶりしやがって」と思うだろうし、素人は「きどりやがって」と思うだろう。それも承知している。



だが、プロは上手くて当たり前で、お客様である素人に向って「自分たちがやっていることはこんなに大変なのですよ」というようなことを云わないし、また、云うべきではない。

だからと云って誰も何も云わなければ、素人はこの想像を絶する厳しい世界を知らずに、「いいとこの坊ちゃん、お嬢ちゃんが苦労もせずに、世間も知らずに気取った音楽を弾いている」と考えるだろう。

私にはそれが、我慢できない。

だから、何と言われようが、知ったかぶりと云われようが、書く。

「音楽は崇高な芸術である。本当の音楽家になるために要求される訓練の厳しさは、絶対に一般人の想像の及ぶところではない」


◆弦楽器は日本人に向いている。

オーケストラの楽器の中では、弦楽器、木管楽器が日本人に合うようだ。

金管楽器は狩猟民族の楽器である。狩りの信号として使われたわけである。日本人は今ひとつである。



世界で活躍している一流の弦楽器奏者はユダヤ人とアジア人である。何故かは分からない。

白人でも純粋のアングロサクソンとか、ドイツ人の源流・アーリア民族はヘタクソである。

私はロンドン駐在中、頻繁にコンサートで欧米の一流オーケストラを聴いた。ベルリンフィルもウィーンフィルも、何度も聞いた。

しかし、こと、弦楽器に関しては、サイトウ・キネン・オーケストラが一番優秀だったと、断言できる。

会場に来ていた英国人が「信じられない」と驚嘆していたのを思い出す。


◆郷古廉君、三浦文彰君、おめでとう。

私は、今回入賞した二人の演奏を聴いたことがないので評価は出来ない。はっきり云って、この年齢では、これからどれぐらい伸びるか、何とも言えぬ。

日本の弦楽器、ことにバイオリンのレベルは非常に高く、単に「上手い」という子なら、私たち素人が聴いたら天才としかいいようがない才能がゴロゴロいる。

ショーソンのポエム(詩曲)やバッハのコンチェルトなどは、完全にプロのリサイタルやコンサートで弾かれる「芸術」作品であるが、将来プロになるつもりなら小学生で弾けて当たり前なのである。



「メニューイン」とはバイオリニストの名前である。既に故人だが、自分自身大変な名人だった。

名人でも、後進の育成に全く興味を示さない人が多いが、メニューインは、若い才能の発掘に極めて熱心だった。東洋人

の感性が好きだったようだが、下手な奴を上手いということは絶対になかった。



現在の審査員は、世界各国の専門家から構成されている。

はっきり云うと、白人は東洋人に西洋音楽の優れた才能があることなど、出来ることなら認めたくないのである。

今回のコンクールで日本人が1位と2位を取ったということは、どうにもこうにも文句の付けようがない、彼らを差し置いて、彼らよりも下手な西洋人を優勝させるわけにはいかなかった、ということだ。

下手な奴を優勝させたら、そのコンクールは権威を失うからである。

このように考えてみると、日本の二人の少年が成し遂げた偉業は、正確に、そしてもっと大々的に報道されるべきだ。

但し、テレビ局がよくやる愚行だが、この子たちを「スター」又は「芸能人」のように扱ってはならぬ。

彼らの「修行」は始まったばかりなのである。


by j6ngt | 2006-04-10 04:27 | 音楽

ウィーンフィル関連の質問に僭越ながらお答えします。

◆色々とお問い合わせがありまして、ご参考になればと。

 

 ニューイヤーコンサートのことを書いていたら、色々とお問い合わせがありました。

 本当は、プロの音楽ジャーナリストではない私がお答えするのはどうかなと思ったのですが、

素人であるということをご勘案の上、reliabilit(信頼性)が必ずしも高いわけではないと言うことをお含み置き下さい。


◆日本人団員の方はどうなったのか。

 

 これこそ、他人様の経歴に関わることなので、みだりに触れるべきことではないのですが、

 私は、2003年に日本人テューバ奏者がウィーンフィルに入団した話を書きました。

 それで、ここ数日「ウィーンフィル 日本人 団員」でGoogleかYahoo!で検索してこられる方がもの凄い数になっています。

 結論を書きますと、現在、ウィーンフィル及び、ウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバー表を見る限り、チューバに日本人はおりません。

 ずっとウィーンフィルの団員の動向とか、コンサートの曲目、指揮者などをウォッチしておられる方がいらっしゃいます。

 この方のサイトに載っている今シーズン(2005-2006年)の始まりにおける、ウィーンフィルのプレスリリースによれば、

【 新入団員 】

1stVn:Isabelle Caillieret、Andreas Grossbauer、Iva Nikolova

2ndVn:Yevgen Andrusenko

Vc:Eckhard Schwarz-Schulz

Cb:Oedoen Racz

Fl:Wolfgang Breinschmid

Trp:Stefan Haimel

【 退職団員 】

1stVn:Helmuth Puffler、Herbert Fruhauf、Peter Gotzel

Vc:Wolfgang Herzer

Ob:Gunter Lorenz

Hrn:Willibald Janezic
Tub:Yasuhito Sugiyama

と、いうことです。

なお、シーズンは9月に始まりますから、実際の異動があったのは、2005年9月1日付です。

ご覧の通り、Tub(チューバ)のYasuhiro Sugiyma氏が退職団員になっています。

書いてあるのはそれだけですから、その経緯はみだりに推測で書くわけには参りません。



そう書いておきながら一言申し添えるのは矛盾しますが、敢えて書きます。

掲示板などでは、試用期間が終わり、不採用になったらしいなどと書いてあるけど、それは分からない。

繰り返しますが、推測で人の経歴に関わることを無責任に書いてはダメです。

私が書いているのは客観的事実。

つまり、今現在、杉山氏はウィーンフィルのメンバー表に載っていない、ということです。

「どうして載っていないかは、分からない」、と書くのが正しい。


◆音色の相性というのがあるのです。

 

 そして、仮にですよ。仮定上の話ですが、試用期間の後で不採用ということは、現実に起りうることですが、

 これは、必ずしもその音楽家の能力がどうのこうのという問題ではないのです。

 ウィーンフィルほどの超一流オーケストラになると、いや、これよりランクが低いオーケストラでも、

 いくら上手くてもその人の「音色」が「うちのオーケストラに合わない」ので不採用、と言うことがしばしば、あります。



 これは、音楽家の音楽性や、演奏能力とは関係がない。

 相性の問題なのです。



 トランペットでも、フルートでも、チューバでも、バイオリンでも、

 ビオラでも、ティンパニでも、シンバルでも、一人一人出す音が違うのです。

 特に、チューバが属する金管楽器群は全て人間の唇をマウスピースにあてて振動させて音を出している。

 人間の身体の一部を振動体(発音体)としているのは、歌と金管楽器だけです。

 もう、既に賢明なる読者諸氏は私のいわんとするところがお分かりかと思いますが、

 唇の形状、筋肉の厚さ、歯の形、生え方など、地球上の人間一人として同じ人はいないのですから、

 ラッパを吹けば違う音がする。但し、同じような系統の音色というのはあるわけです。



 ウィーンフィルはなによりも、全体として如何に美しい音が出るか、に全員が気を配っているので、

 ウィーンフィル独特の音を「オルガントーン」などと表現します。

 ですから、あくまで仮定上の話、一般論ですが、ある音楽家がウィーンフィルに入ってみて、

 技術的には何にも問題がないが、残念ながら音色がちょっと合わないな、と判断されることは、あり得る。
 くどいけど、これは、一般論です。

 これはウィーンフィルだけではないですが、ウィーンフィルは特に敏感だ、ということです。

 ついでに書きますが、同じ楽器でも一番奏者には向かないが、二番としてなら採用しても良い、ということがあります。

 1番と2番でハーモニーを作る場合、2番が下(低い音)、1番が上(高い音)を吹きます。

 そして、1番がメロディーになるのです。

 1番の華やかさはないが、2番で下を支えるのには、いい音だ、という判断のされ方もあるのです。


◆コンサートマスターで、昔からいるあの髪の薄い(失礼)人はだれか?

 

 ライナー・キュッヘルという人です。奥さんが日本人です。

 キュッヘル氏の一日を以前NHKでドキュメンタリーで撮していましたが、

 驚いたのは、朝、起きると、顔も洗う前から、いきなりバイオリンをさらい始めるのです。

 放っておくと、1日中弾いているそうです。

 既に何十年もオペラとウィーンフィルの両方で弾いているのですから、大抵の曲は、弾けてしまうはずなのです。

 勿論コンクールなんか出る訳じゃない。

 それなのに、「な、なんだ、これは?」と仰天するほど、音楽のことばかり考えているようでした。

 キュッヘル氏は、しばしば単独で日本に来て、協奏曲のソリストを務めたり、

 室内楽(弦楽四重奏などのこと)を演ったりしていますが、そういうマネジメント、

 俗事は全て奥さんが取り仕切っているそうです。

 奥さんがいなくなったら自分は一日も生きてゆけない、と云っていましたが、そうでしょうね。

 非常にマニアックですが、キュッヘル氏は、バイオリニストですが、バイオリンをビオラの弓で弾くそうです。

 「このほうが、楽器が鳴る」と云って。



 一層マニアックですが、弦楽器の弓の長さは、どれが一番長いとおもいますか?

 一番大きいコントラバスだと思うでしょ?

 違うのです。バイオリンが一番弓が長い。そして、ビオラ・チェロ・コントラバスという順で短くなります。



  さて、ウィーンフィルのコンサートマスターといえば、以前は「ウィーンフィルの顔」、

 「ゲアハルト・ヘッツェル」という超有名な方がいらっしゃいました。

 世界のコンサートマスターの鑑のような方でした。

 経験の浅い指揮者は、リハーサルの合間に音楽的なことについて、ヘッツェル氏に教えを請うのだそうです。

 それぐらい偉い先生なのですが、いつも柔和な笑顔を浮かべる正真正銘の紳士でした。



 ソリストとしても勿論通用する、たぐいまれなる高度な音楽性とテクニックを兼ね備えていました。

 ある時、シェリングという有名なバイオリニストをソリストに迎えて、

 ブラームスのバイオリン協奏曲を演奏するはずだったのが、ドタキャンになりました。

 それもコンサートの3時間か4時間前だったそうです。
 どんなプロでも、いきなりブラームスのコンチェルトを弾いてくれと言われたら断るでしょうが、

 何と、ヘッツェル先生は、ブッツケ本番で、見事に弾いてしまったといいます。信じられないです。



 しかし、何と言うことでしょう。ヘッツェル先生は1992年、登山中足が滑って滑落、

 バイオリニストなので手を庇ったため、頭を打ち、不慮の死を遂げました。みんな泣きました。


◆ウィーンフィルはストラディバリウスなどの名器を使っているからいい音がするのか。

 

 いいえ、違います。

 驚く無かれ。ウィーンフィルの弦楽器は楽団の所有物なのです。

 楽器部屋に行くと、スタンドにずらーっとヴァイオリンがぶら下げてある。

 勿論、ウィーンフィル専従の弦楽器職人がいて、調整はしてあるのですが、

 楽器そのものは、プロから見ると、手に取るまでもなくはっきりと「安物」と分かるような代物なのだそうです。

 弦楽器では弓だけでも名器は何百万円もするのですが、ウィーンフィルは、

 引き出しにガシャっと放り込んであって、それを適当に持っていって弾くのだそうです。



 普通、楽器に関しては「弘法筆を選ばず」ということはあり得ないのです。

 ウィーンフィルでも管楽器はヤマハに特注しています。

 しかし、ウィーンフィルの弦楽器セクションは信じられないけれど、「そこらの安物」なのです。

 安物の楽器でも鳴らしてしまう腕を持った人々なのですね

 もっと書きたいのですが、時間が遅くなってきましたので、今日はこの辺で。


by j6ngt | 2006-01-04 19:30 | 音楽

ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート、所感。「泣けました」

◆聴いていて、胸が苦しくなるほど、良かった。

 

 1日の生中継ときょうの再放送、さらにDVDに録画したもの、と3回聴いてしまった(3回目は途中だが)。

 聴いていて、こみ上げる感動で胸が苦しくなった。それぐらい良かった。

 私は日本ではウィーン・フィルを生で聴いたことがない。コネでもないとチケットが手に入らないのだ。

 ものすごく傲慢な云い方だが、聴いても良く分からないような人が大勢チケットを手にしているように思われる

(勿論、本当の愛好家のほうが多いだろうけど)。



 ロンドン駐在時には、簡単にチケットが買えた。

 日本では信じられないが、コンサートの1週間前でも日本で云うところのS席が5000円ぐらいで買えるのだ。

 ヨーロッパ人は各国とも自国に誇りがあり、ウィーンフィルを特別扱いしないのだ。

 ベルリン・フィルに対しても同様である。イギリス人は得にその傾向が顕著だ。

 そもそもイギリス人は英国は「ヨーロッパの一部ではない」、と思っている。本気で思っている。

 それでは、何かというと、“Great Britain”(「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」

 =United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland、略すときには、Theがつく。

 “The United Kingdom”。更に省略するときは、単に“U.K.”)なのである。

 大英帝国なのである。

 仕事場で同じ部署のイギリス人がヨーロッパ諸国のお客さんを往訪するときに、

 「来週、ヨーロッパに行ってくる。」という表現を用いるのが普通だった。


◆ヤンソンス氏は良いですね。

 

 話がそれた。

 “ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2006”を聴いていて、

 「ああ、ウィーンフィル!」という初歩的な感動に身が震えた。

 あの響きは、厳密には楽友協会ホール(Wiener Musikverein )で聴いてこそ

 「本物」のウィーンフィルの音になるはずである。ホールは楽器の一部である。



 ああ、ウィーンで、ウィーンフィルを聴いてみたいなあ・・・。もう無理だけど。



 ヤンソンス氏の評価が高いのが分かるような気がする。

 決して奇を衒わず、しかし、ワルツとポルカ(二拍子の早い曲)の組み合わせ。

 珍しいワルツを取り上げることなど、プログラムがかなり工夫してあった。

 ヤンソンス氏を見ていると実に音楽をしていることが楽しそうで、

 音楽の「楽しさ」を素直に感じることができる。それが聴く者を幸せにする。



 ウィーンフィルともなれば、ニューイヤーコンサートの全曲目を、指揮者がいなくても演奏できる。

 それは間違いが無い。

 そこで、何かの存在意義を示すのは指揮者とっては大変重い課題である。

 だからといって、何か変ったことをしようとして、

 ウィーンフィルに、音楽的な常識に反する注文をしてもバカにされるだけである。

 指揮者にとって一番大切な能力は、オーケストラが能動的に演奏する意欲(俗な云い方をすれば「ノリ」であろうか)、

 を引き出すことである。


◆指揮者にとって大事なこと。

 

 岩城宏之さんが30年も前に書いたが、ずっと絶版で、最近復刊された、

 岩城音楽教室は専門的なことばなど、全く使われていないが、

 音楽の本質に関わることが沢山述べられていて、大変面白い本である。



 この中で、岩城さんがかつてカラヤンに指揮のレッスンを受けたとき、

 カラヤンが「君は、もの凄く表現しているが、君が振る(注:指揮する)と、

 ときどき、オーケストラから汚い音が出る。力を抜きなさい。」

 さらに、「オーケストラを『ドライブ』するのではなく『キャリー』(carry)するのだ。」と言われた、とある。



 つまり、指揮者はオーケストラに命ずるのではなく、やる気を引き出させて、

 しかも気が付くと指揮者の欲する音楽になっている、というのが理想的な形なのだということで、

 これはいろいろなところで、色々な人が述べている。

 カラヤンは自分でジェット機を操縦したが、初めて自分で飛ばすとき、

 教官から「貴方にとって一番大切なのは、飛行機が飛ぼうとするのをじゃましないことだ」と云われたという。

 私は乗馬の練習に行ったことはないが、乗馬を教わると、同じようなことを云われるらしい。



 オーケストラを馬になぞらえるのは失礼だが、飛行機の操縦に関しては、

 ベルリンフィルのコンサートマスター、安永徹さんがある対談で(安永さんは飛行機を操縦するわけではないが)、

 「それは、核心をついていますね。神髄ですね」と大いに同意していた。

 云うのは簡単だが、なかなかそういう境地にたどり着ける指揮者はいない。

 ヤンソンス氏は多分、その境地に達しているのであろう。

 私のごとき凡人には、「だろう」としか云えない。

 プロの音楽家や、専門的な訓練を受けた方、オーケストラで弾いておられる方でなければ、本当には分からない筈だ。



 但し、素人目にもわかることがあった。ヤンソンス氏は見栄を張らない真面目な人だと言うことだ。

 全部、スコア(総譜=オーケストラ全てのパートが書き込まれた楽譜。各楽器の奏者の譜面台にはパート譜、

 つまり自分のパートだけをスコアから抽出した楽譜が置いてあるのだ)を見ていたでしょう?

 ニューイヤーコンサートというと、大抵暗譜で振るものだが、実は音楽にとって暗譜かどうかはさほど重要ではない。



 そもそも、昔の大指揮者・トスカニーニという人が非常な近視で、

 譜面を置いたとしても、3センチぐらいまで顔を近づけないと見えず、

 それでは、ステージ上で不便だし、あまりにかっこ悪いので、やむを得ず暗譜するようになり、

 それがカッコいいというので、次第に世界中の指揮者が暗譜をするようになったのだ。

 暗譜は、音楽演奏上の決まりでも何でもない。

 むしろ、暗譜に費やす時間を、音楽の解釈に時間をかけるべきだと考える人は、今でも楽譜を見ながら指揮をする。



 それにしても、ヤンソンス氏は、今まで何百回も振ったに違いない「フィガロの結婚」序曲

(今年はモーツァルト(1756~1791)の生誕250年なので、ニューイヤーコンサートでも「フィガロの結婚」序曲

 が演奏されたのだろうが、これは大変珍しい)まで、忠実にスコアを見て、ページをめくりながら演奏していた。

 オペラを演るときならともかく、ステージ上でベテラン指揮者が振る光景としては、非常に稀である。

 しかし、その「フィガロ」の演奏が終わるやいなや、ブラボーが飛んだ。私も全く同じ気持ちだった。


◆音楽のすばらしさを思い出させてくれた。

 ヤンソンス氏とウィーンフィルの演奏は、エネルギーと躍動感に満ちあふれ、

 一方、優雅な場面ではあくまでも美しく、要するに「これぞ、音楽のすばらしさだ」と叫びたくなる、「血湧き肉躍る」演奏だった。

 私はこれまでに、ニューイヤーコンサートをテレビを通じて、或いはCDで、何十回聴いたか分からない。

 毎年聴いていて、もう飽きたと思っていたような曲で、しかも、無類に明るく楽しい音楽なのだが、

 「ああ。これこそ音楽だ。私が30年憧れ続けている音楽だ。」という気持ちが身体じゅうを貫いた。

 知らぬ間にボロボロ泣いてしまった。

 書きたいことはいくらでもあるが、きりがないので、ひとまず、筆を置くことにする。


by j6ngt | 2006-01-03 19:28 | 音楽

「ウィーン・フィル、ニューイヤー・コンサート」まだ演奏されていないCDの売上げが一位というのもすごいね

◆ネットショップを見てびっくり。

 

 ウィーンフィルのことを検索していたらネットCDショップで「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2006年」が売上げランキング1位になっているのを見てびっくりした。

 毎年こうなのだろか(私は、ニューイヤーコンサートのCDを常に買うわけではないので、知らないのだ)?

 2006年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートは現在演奏中であり、従って、CDはまだ製作されていないのだが、予約で、売上げ一位なのだ。


◆ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 

 日本語では「管弦楽団」がついているが、ドイツ語の本来の名称は、「Wiener Philharmoniker」である。フィルハーモニーカーとは「音楽愛好家」が元来の意味である。

 ウィーンフィルは普段は、「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」である。

 ニューイヤーコンサートやウィーンフィルの定期演奏会が演奏されるのは、「ウィーン楽友協会ホール」だが、

 それとは別に、ウィーン国立歌劇場(シュターツ・オーパー)というオペラハウス(=歌劇場)があり、

 そこで、オペラの伴奏をするのが本業である。



 「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」は「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」の有志によって、

 自主的に運営されているオーケストラであり、謂わば「同好会」なのである。

 一方、昨夜ジルベスターコンサートを行い、日本人の安永さんがコンサートマスターを務めるベルリンフィルハーモニー管弦楽団は、

 N響や、シカゴ交響楽団や、ロンドン交響楽団と同じように、

 もっぱら、交響曲をはじめとする、管弦楽のための作品を演奏するためのオーケストラである。

 何故、ウィーン・シュターツ・オーパーのオーケストラから、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が誕生したか?

 オペラは、歌手が主役。オーケストラは「伴奏者」であり、ずっとピットという「あなぐら」に入ったままだ。

 誰が弾いたり、吹いたり、叩いたりしても、ごく一部を除き、お客さんからは見えない。

 どんなに名演奏をしても、拍手喝采を浴びるのは、歌手である。

 オペラの伴奏に徹していたら、一生、交響曲など演奏できない。

 たまには、自分たちがオモテに出たいという自然の欲求によるものだろう。

 しかし、あくまで本職はオペラで、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、誤解を恐れずに云うなら「趣味」の活動なので、

 コンサート専門のオーケストラに比べて、定期演奏会の回数はとても少ない、1シーズンで8回ぐらいではなかったか。

 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会の会員はウィーン市民の中でも特定の人たちが代々受け継いでゆくので、

 滅多なことでは新規で定期の会員にはなれない。聴く方も筋金入りの「プロ」なのである。

 だから、「ウィーン・フィルの定期」の指揮者に選ばれる(楽員の投票で決める)、ということは、

 世界中の指揮者にとって、「夢」なのだ。



 ましてや、本業のウィーン国立歌劇場管弦楽団の音楽監督が日本人の小澤征爾であるということは、

 目も眩むほどの栄誉なのである。


◆マリス・ヤンソンス氏(指揮者)

 

 実は、私はこの人の演奏を聴いたことが無い(生で)ので、評価を下すことは出来ないが、

 ウィーンから伝わる噂では、評価が厳しいウィーンフィル定期会員の間で絶賛されており、

「今、ウィーン・フィル定期にいつでも来て欲しいのは、ヤンソンス氏だ」とまでいわれているそうな。

 1943年1月14日、ラトビア生まれ、というから、既に62歳。

 ラトビアは現在は独立国だが、ヤンソンス氏が生まれた頃は旧ソ連に属していた、

 バルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の一つ。ソ連から独立したのは、1991年である。

 指揮者は誠に厳しい世界で、ヤンソンス氏も既に何十年も音楽をしているが、

 近年になってようやく、しかし、あっという間に有名になった。

 ヤンソンス氏はヨーロッパの数あるオーケストラの中で、ウィーン、ベルリン両フィルハーモニーを超A級とすれば、

 それに次ぐ、それでも十分世界的に見て超一流のオーケストラの常任指揮者を2つも兼任しているのだ。

 2003年からは、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者に。

 2004年には、オランダのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(「コンセルトヘボウ」とは、「コンサートホール」の意味。

 昔はこのオーケストラは、「アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団」という名称だった)の常任指揮者に就任、

 というのは、今までの常識では考えられないほどの快挙であり、並の音楽家ではないことが十分推察できる。


◆ウィンナー・ワルツはウィーンのオーケストラでなければ、弾けない。

 

 ここから後は、クラシック・ファンは、既によくご存じだと思うけれども、お付き合い頂ければ幸い。

 ニューイヤーコンサートのプログラムの中心は、ウィンナー・ワルツ、

 つまりヨハン・シュトラウス(これ、父子共に作曲家なのだが、同じ名前なのでややこしい。

 面倒なので、しばしば、「ヨハンシュトラウス父子のワルツ」という)が作った作品群を中心とする、ウィーンで育った作曲家が作ったワルツである。

 これは、譜面を音にするだけならば、他でも出来る。

 勿論、日本のオーケストラでも出来る。

 しかし、ウィンナー・ワルツをウィンナー・ワルツたらしめているのは、伴奏のリズムにある。



 ウィンナー・ワルツにおいて、気持ちよくメロディーを弾いているのはもっぱら第一バイオリンである。

 第2バイオリン・ビオラは大変である。

 3拍子をしばしば「ブン・チャッ・チャッ」と表現する。

 一拍目の「ブン」はベースである。チェロ・コントラバス、チューバなど。

 2拍目、3拍目の「チャッ・チャッ」をずーーーっと弾くのが、第2バイオリンとビオラである。

 プロでも本当に腕が辛くなるそうだ。

 しかし、この伴奏者こそ、「ウィンナー・ワルツ」の影の主役である。

 ウィンナー・ワルツにおいて、3拍子の「ブン・チャッ・チャッ」は等間隔で演奏されず、

 一拍目と二拍目の間隔が普通の三拍子よりもわずかに短い。

 このわずかなリズムの特殊性が「ああ、ウィーンだ」と思わせるのである。

 これは、マネできそうだが、ウィーンで生まれ育ち音楽を身につけた者以外の音楽家が演ると、どこか違ってしまうのである。

 ウィーン人にはこのリズムが遺伝子に情報として組み込まれているに違いない。いくらよそ者が演ってもダメだ。



 言葉における「お国なまり」=「方言」のようなものだろう。

 何となく真似はできるが土地の人が聴いたら一遍で「あ、どこか違う」とばれてしまう。

 というわけであるから、ウィンナー・ワルツは、ウィーンのオーケストラ(ウィーンフィル以外にも、

 いくつかオーケストラがある)以外では聴かない方がいい。

 故・芥川也寸志氏(作曲家)がやはり、そう書いている。

 「餅は餅屋です」。


◆昨年は聴けなかったラデツキー行進曲
 

 ニューイヤーコンサートでは、絶対に変えない「しきたり」がある。

 主なプログラムが終わってから、何曲かアンコールが演奏され、

 漸くウィンナー・ワルツの代名詞、「美しき青きドナウ」が演奏される。あれは、アンコールなのである。

 その後、本当の最後に「ラデツキー行進曲」が演奏され、この時は聴衆も手拍子をする

(一年を通じて、ウィーン・フィルが演奏している最中にお客が音を出すのはこの時だけ、である)。

 これで「お開き」となるのが、「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」というものである。



 ところが、昨年のニューイヤーコンサートでは、数日前にスマトラ島沖大地震により、20万人が亡くなった直後であったため、

 指揮者ロリン・マゼール氏はラデツキー行進曲の演奏を止めることにした。

 やむを得ないが、寂しいことであった。 今年はそれが聴ける。めでたいことである。

 なお、ニューイヤーコンサートは、再放送がある。

 1月3日午前11時から、NHK教育テレビで。ご参考まで。


by j6ngt | 2006-01-01 19:22 | 音楽

「第九」の歌詞は何を訴えているのか。

◆オーチャードホールで第九を演っていましたね。

 

 キー局がテレビ東京なので、日本中では一体どれぐらいの人が見ることが出来たのか、或いは見たのかわからない。

  毎年、東京・渋谷のオーチャードホールでテレ東企画(実際には番組製作会社企画だろうが)のシルベスターコンサートが行われ、生中継される。

 このコンサートの目玉は「カウントダウン」と称して、演奏時間が15分程度の曲を演奏し、

 その最後の音が、丁度、元旦の0時0分0秒に終わるようにするのである。



 演奏者、特に指揮者にとっては、嫌な企画だろう。

音楽そのもの以外の事に異常に神経を使わなければならないからである。

 音楽は、途中で拍子が変らなければ、一小節の拍数は決まっていて、

 一曲の小節数は、頭から数える必要は無く、楽譜の所々に何小節目かがかいてあるので、容易に知ることが出来る。

 従って、その曲全体が、合計何拍であるかを算出し、演奏時間を決めれば、演奏時間を拍数で割ることにより、

 一拍あたり何秒で振ればよいか計算できる(普通はテンポはメトロノーム速度、

 即ち一分間に四分音符を80個のテンポで演奏せよ、という形式で指定される)。



 しかし、それは、理屈であって、クラシックの曲を最初から最後まで、歌謡曲のように、

 同じテンポで演奏すると云うことはあり得ない。

 あるところでは、遅くなり、そうしたら、演奏終了を何としても午前0時丁度にするためには、

 どこかでその分を取り戻すべく、テンポを上げなければならないが、コンピューターじゃないから、

 そこは指揮者の勘を頼りにするしかない。


◆絶対テンポ感

 

 そんな言葉はないのだが、現実には、指揮者になるような人は、この能力がないとやっていけないと思う。

 適切なテンポを設定するのは、指揮者の一番最初のしかし、非常に大切な役割である。



 指揮者の岩城宏之さんは、時計を用いないで、正確に1分間を測ることができるという。

 今日、オーチャードホールのジルベスターコンサートでは、

 何とベートーベンの交響曲第九番の第4楽章で「カウントダウン」を行ったわけである。

 指揮者は、私が子供の頃サインを貰った、「コバケン」こと、小林研一郎氏で、見事に成功を収めた。

 最後の合唱の部分が終わると、すごいアッチェレランド(段々早く、の意。逆がリタルダンド「段々遅く」だ)をかけて、

 聴いているこちらも、間に合うかどうか冷汗をかいたが、ドンピシャリであった。


◆第九の歌詞はシラーの詩からとったものだ。

 

 シラーの詩をベートーベンが用いたことや、

 一番最初のバリトン・ソロ、

 「オー、フロインデ。ニヒト・ディーゼ・テーネ」は、英語にすれば、

 “Oh,my friends! Not such a tone”(おお、友よ。このような音ではなく・・・)

 で始まる事は知っているが、最後まで逐語的にドイツ語の歌詞を理解している人は少ない。

 実は私も大雑把にしか分からぬ。



 だが、要するに、「人類愛」、つまり人類は皆兄弟なのだ、という事を強く訴えている。

 この詩を理解したからといって、国際紛争が無くなるような単純な世の中ではないことは百も承知だが、

 シラーの言葉は、理想としては高邁(気高く、すぐれていること)である。

 そこで、この詩を刻んで、平和を祈念しつつ、本年の日記を結びたい。


◆第九の歌詞の意訳。

 

 実際の音楽では、同じ部分がソロで歌われた後、合唱で歌われるなど、繰り返しが多いが、

 あの15分間で歌われているのは、以下の通りである。

 

 おお、友よ! このような調べではない!

 そんな調べより、もっと心地よく歌い始めよう、喜びに満ちて。

 歓喜よ、美しき神々の煌めきよ、

 エリジウム(楽土)から来た娘よ、

 我等は炎のような情熱に酔って

 天空の彼方、貴方の聖地に踏み入る!



 一人の友人を得るという

 大きな賭けに成功した者よ、一人の優しい妻を努めて得た者よ、

 その歓びの声を一つに混ぜよ!

 そう、この地球上でただ1人の(一つの心と呼ばれる)者も!

 そして、それが出来なかった者は、この集まりから涙を流してひっそりと去る。



 全ての生物は、

 自然の乳房より歓喜を飲む。

 そして、善きもの、悪しきものも全て薔薇色の跡を付けていく。



 歓喜は我等に口づけと葡萄、そして死の試練にある一人の友を与えた。

 官能的な快楽は虫けらに与えられ、そしてケルブ(智天使)は神の御前に立つ!



 喜ばしきかな、太陽が壮大なる天の計画に従って飛ぶが如く、

 兄弟達が己〔おの〕が道を駆け抜ける、勝利に向かう英雄のように喜ばしく。

 抱〔いだ〕かれよ、数多〔あまた〕の者よ! この口づけを全世界へ!



 兄弟達よ!星空の彼方に 愛する父(なる神)がおられるはずだ。

 地にひれ伏さぬのか? 数多の者よ。 創造主(の存在)を感じるか? 世界よ。

 星空の彼方に求めよ! 星々の彼方に彼の御方(神)がおられるはずだ。


by j6ngt | 2005-12-31 19:19 | 音楽

ものは試しで、ベルリン・フィルを聴いてみませんか?NHKBS2で大晦日まで深夜に放送。

◆本物はなかなか聴けないのです。
 

 日本は異常でして、ベルリンフィルとフィーンフィルのときには、チケットが異常に高くなり、

 それでも、この不況のさなかでも飛ぶように売れ、また、無教養な大企業が、接待用にチケットを買い占めるので、

 本当にベルリンフィルの凄さが分かる人はなかなか、コンサートに行けないのです。

 生の方が良いに決まっているけれど、テレビでも結構面白い。


◆大晦日に「ジルベスター・コンサート」をやるのですが、その2001年分を今夜12:30からNHKBS2でやります。

 

 ベルリンフィルは毎年大晦日に「ジルヴェスター・コンサート」をやります。

 ジルヴェスターというのは、4世紀のローマ法王の名前で、いろいろ逸話があって

 大晦日をジルベスターというようになったのですが、その説明はまたいずれ。

 チャンネルは、NHKのBS2です。ハイビジョンではないので、古いテレビをお使いの方でも大丈夫です。

 NHKのサイト内に、Special Programs: 2005/12, Silvesterkonzert 2000-2005というページがあって

 曲目まで詳細が載っています。

 ちなみに今夜は、2001年のジルベスター・コンサートです。


  1. 組曲 第3番 ニ長調 BWV1068 から  「ガヴォット」 ( バッハ作曲 )

  2. ディベルティメント K.334 から   「メヌエット」 ( モーツァルト作曲 )

  3. ピアノとオーケストラのためのロンド ニ長調 K.382 ( モーツァルト作曲 )

  4. 歌劇「アイーダ」 第2幕 から    ~幼い奴隷たちの踊り~ ( ヴェルディ作曲 )

  5. スラブ舞曲 作品46第8 ( ドボルザーク作曲 )

  6. バレエ「くるみ割り人形」 から  ~花のワルツ~ ( チャイコフスキー作曲 )

  7. 劇音楽「クオレマ」 から   ~悲しいワルツ~ ( シベリウス作曲 )

  8. 皇帝円舞曲 ( J.シュトラウス作曲 )

  9. ガランタ舞曲 ( コダーイ作曲 )

  10. とろ火で ( ホラシオ・サルガン作曲 )

  11. ティコ・ティコ ( ゼキーニャ・アブレウ作曲 )

  12. ポルカ「雷鳴と電光」 ( J.シュトラウス作曲 )

  13. エル・フィルレーテ ( マリアーノ・モーレス作曲 )

  14. ハンガリー舞曲 第1番 ( ブラームス作曲 )


これは、すごい大サービスですよ。ポピュラー名曲ばかり



指揮は、まだ現在の音楽監督サイモンラトルではなく、ピアニストでもあり、

夭折した天才女性チェリスト、ジャクリーヌ・デュプレと結婚していたことで知られる、ダニエル・バレンボイムです。

理屈抜きで、殆ど確実に楽しいと思います。勿論録画しておいてお暇なときにご覧になっても良いでしょう。

因みに、これは音楽DVDとして売られていますが、まともに新品を買ったら3,500円ぐらいしますから、

NHKが放送してくれるのは、いいですね。


◆明日も、大晦日まで毎日やります。

 

 明日は2,002年のジルベスター・コンサートで、 ベルリン・フィルとしては、かなり珍しい。

 バーンスタイン、ガーシュウィンはじめとするアメリカ音楽ばかり。


◆バイオリンの一番前に座っているのがコンサートマスターです。

 

 ベルリンフィルのコンサートマスターは3人います。

 その一人が日本人の安永徹さんです。

 他にも最近、ビオラと第一バイオリンに日本人奏者が入りました。もの凄いことです。 是非見て下さい。


by j6ngt | 2005-12-27 19:00 | 音楽

コメント、メール御礼申し上げます。毎コンに関するコメント。その他音楽諸々について。

◆ご祝辞御礼

 

 もう少し早く23日のNHK教育テレビ「毎コン本選」に気が付いて、

 記事をアップすれば良かったのですが、あまりに私事なので、ためらってしまいまして、申し訳ございません。

 それにもかかわらず多くのかたから、コメント、メールを頂戴し、感激しております。

 有難うございました。


◆コメント1:毎コン全般

 

 以前は存在しなかったシステムで最近採用されたのは、順位とは別の「聴衆賞」です。

 つまり、本選を聴きに来たお客さんが「だれが一番良かったか?」を投票する。

 一番得票した演奏者には、コンクールの結果(これは専門家である審査員が決めます)とは無関係に、「聴衆賞」が与えられるのです。

 感心したのは、全ての部門で「聴衆賞」を獲得した出場者が、「これが一番嬉しい」と云っていたことです。

 専門家の意見が大事ではないということではありません。但し、もしもこの先プロになるとしたら、

 聴いてくださるお客様は、音楽の専門的訓練を受けたことがない一般の方が大部分なのです。

 「自分の演奏で、他人様を束の間でも幸せにしたい」という気持ちは、プロの演奏家になるからには、非常に大切にしなければなりません。

 演奏家の責任は重いのです。

 それは、「お客さんの時間を預かる」ということです。



 大げさに云えば、お客さんは、一生の中の2時間なら2時間を、しかもお金を払って「演奏者に預け」ているのです。

 演奏が下手だった時、お客さんが怒って、「カネ返せ!」と云ったら、それは返すことが出来ます。

 しかし、「時間」は取り返しが付かない。「こんな下手な演奏を聴くぐらいだったら、どこかで美味いものを食った方が良かった」と言われても、時間は返すことが出来ません。

 演奏家の責任が重い、とはそのことです。プロになる人はそれをよく分かっていなければいなければならないのです。

 さすがに、毎コンの本選に残るぐらいの人々は、どの楽器(声楽もありますが)の人も、私が今書いたこと。即ち「プロの何たるか」を良く分かっている。

 それが嬉しかったですね。

 当たり前と言えば当たり前なのですが、最近の若い人は幼稚だから、自分のことしか考えない。

 世間一般の平均と比べると、私の身内はともかく、他の方々はとても精神的に成熟していると思います。


◆コメント2:そうは云うものの、出場者の今までの苦労を思い、涙が止まりませんでした。

 

 くどいようですが、毎コンの本選に残る、ということは並大抵のことではありません。

 才能は必要ですが、才能だけで残れるものでは、絶対にない。大昔から音楽演奏に限らずあらゆる「芸事(パフォーマンス)」を志す人間の世界で言い継がれている言葉があります。

 「1日(練習を)休むと自分に分かる。2日休むと仲間に分かる。3日休むとお客さんに分かる」


 皆、努力しているのです。

 バイオリンなら130人ぐらい受けて、本選に残れるのはわずか4人。それだって、第2次予選の日程が一日ずれていたら、全然別の顔ぶれになっていたかも知れない。

 プロの演奏家への道。プロになってからの苦労は並大抵ではありません。

 多くの出場者が「お客さんに聴いていただけて嬉しい」と云っていました。

 そうでしょうとも。この日のために苦労してきたのです。



 バイオリン入賞の中川さんは、大舞台でオーケストラ伴奏で弾けた事自体に感激して涙ぐんでいました。

 ホルンは実に上手くなりました。

 昔は、日本人には金管は無理ではないかと思われるほどホルンはよく音を外しました。それぐらい難しい楽器なのです。

 今回の本選の1位と2位はプロです。オーケストラの仕事をしながら、コンクールの準備をした。

 1位の大野さんは、非常に難しい、リヒャルトシュトラウスの「ホルン協奏曲第2番」を音を外さないだけではなく、絶えず楽器の向き、即ち身体の向きを変え、音色を変化させていました。

 ホルンはベル(ラッパの先端、「朝顔」といいます。あの大きく広がった、開口部です)がトランペットやトロンボーンと異なり、

 普通に構えた状態で、前を向いていないのです。ベルの向きを変えることにより、曲想により色々な工夫が可能となるのです。

 声楽で1位を獲得した志田雄啓氏は、あまりにも有名なプッチーニのオペラ「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」を歌いました。

 テノール歌手でこの歌を歌いたくない人はいないでしょう。誰もがステージ上でこのアリアを歌うことを夢に描くことでしょう。

 この歌は本当にイタリア語が一言も分からなくても、聴き手の胸が苦しくなるほど、気持ちが高ぶります。

 「これぞ、テノール。これぞ、オペラ」という曲です。

 志田さんはすでに演奏歴があるわけですが、声楽の本選会に来てくれたお客さんを前にクライマックスの最高音を歌いながら、

 「この時のために、自分は歌を勉強してきたのだ」と感無量だったのではないでしょうか。

 歌い終わった後、涙を堪えている姿に、私が泣けてしまいました。

 毎年のことですが、第74回日本音楽コンクール。予選で落ちた人も含めて、全員の研鑽と栄誉を讃えたいと思います。


◆コメント3:演奏者への敬意。

 

 音楽を聴く側は、勿論お客さんなのだけれども、音楽家が幼い頃から積み重ねてきた研鑽に対する敬意を忘れてはいけないと思うのです。

 分からないことを分かったように云うのはよくありません。

 作曲家の故・芥川也寸志氏は作曲以外に著作が多いですが、さすが龍之介のご令息だけのことはあり、いずれも非常に読みやすい名文です。

 数多い著作の中に次のような一節があります。手もとに本が無いので要旨を書きます。

 

「楽器を演奏なさること。それがハーモニカであれ、ウクレレであれ、ヴァイオリンであれ、ピアノであれ、そして演奏が玄人はだしであれ、たとえ、お話にならないぐらいヘタクソであれ、楽器を演奏なさることこそ、音楽を理解するための近道です」



 もちろん、世の中には生まれついた時代や、環境があるから、全ての人が楽器を習うわけにはいかない。そんなことは芥川さんも理解しているのです。

 但し、確かに楽器を習ってみると、楽器を人に聴かせることが出来るぐらいまで上手くなる、ということが、如何に難しいかがわかりますよ、という意味です。



 私は学生時代から下手なトランペット吹きですが、大人になってからどうしてもオーケストラの心臓部たる弦楽器、

 しかも、楽器の中の楽器、バイオリンを習ってみたくなり、26歳から習い始めました。

 最初は鈴木・メソッドに通いました。鈴木メソッドの最初の曲は「キラキラ星変奏曲」というのですが、まず、音を出すまでが大変です。

 バイオリンは構え方がなかなか決まらないのです。

 プロは子供の頃から毎日やっているので、曲が始まる寸前に、ごく自然にスッと構えますが、初めてのものには、腹が立つほど難しい。

 基本的にバイオリンは肩に「置く」のであり、それを多少アゴで押さえるだけなのですが、初心者は例外なく、アゴ、つまりクビにもの凄く無駄な力を入れるのです。

 身体の一カ所でも無駄な力が入っていると、全体に影響が出て、音を出す(弓を持つ)右手が自由に動かず、弦を押さえる左腕の角度が不自然になります。

 それを何とかクリアして初めて音を出すのです。

 ただ、バイオリンの初心者が出す音をよく「のこぎりの目立て」といい、聴くに堪えない雑音になるようにいいますが、あれは、嘘でした。

 余程勘が悪くなければ、弓を早く動かしていないときに、弓の圧力を高めれば、のこぎりの目立てになることは、感覚的にすぐに分かります。

 しかし、まだまだ、難関が山積みです。

 バイオリン奏者がまるで自然に行っていること。「弓を直線的に上下運動させること」が至難の業です。

 あれは、何も滑り止めなどないのです。

 初心者は、弓と弦が接する位置が駒よりになったり、逆に指板(「しばん」と読みます。弦を押さえる黒い部分です)の方に流れます。

 バイオリニストの美しいボーイング(弓使い)は練習で獲得したものなのです。

 それに左手。ご存じの通り、オーケストラの弦楽器(バイオリン・ビオラ・チェロ・コントラバス)の指板にはギターのようなフレット(弦を区切る出っ張り)がありません。

 ただひたすら繰り返し繰り返し練習して、正しい音程が出る位置に指をもっていけるようにするのです。

 それは、もう、気の遠くなるほど大変なことです。1ミリ、押さえる場所がずれたら、完全に間違った音程であることが、ばれます。

 それ以前に僅かな音程の狂いでも認識出来る「耳」が無いとお話になりません。弦楽器はそういうわけで実に難しいことがわかりました。

 それが分かっただけでも、私には収穫でした。

 みなさんは、何もバイオリンを習わなくてもいいですが、想像してみてください。

 例えば、学校で習ったリコーダー。あれは、立派な独奏楽器でテレマンやヘンデルがソナタを書いているのですが、それはここでは、割愛します。

 貴方があのリコーダーを「ステージ上で」、「スポットライトを浴び」、「1000人のお客さんの前で」、「ただ一人で」、

「ドーレーミーファーソーラーシードー」とそれだけでいいです。吹くことになった、と想像してみてください。

 曲を吹くのではありません。1オクターブの音階を吹くだけです。

 それでも、大抵の人は、絶対に間違えるか、音がひっくり返るか、音が震えることでしょう。

 プロはその1,000倍も難しいことを毎回、演っているのです。

 このような経験・または想像をしてみると、「○○管弦楽団は弦が甘い(弦楽器セクションが上手くない、という意味です)とか、

 「管が鳴っていない」とか分かったようなことを、簡単に口に出来なくなります。



 無論、プロにも上手い下手はありますし、お客さんはお客さんですから感想を述べて構わないのは当然ですが、

ときどき立ち止まって、今、私が書いたようななことを思い出すのも必要だと思います。

「『ハ長調とト長調』の違いも分からないのに、知ったかぶりをするのはあまり感心できない」と云っても、特に傲慢な思想だとは思いません。


◆コメント4:バイオリン。
 

 昨日の教育テレビはは毎コンのダイジェスト版でしたが、NHKBS2では12月中旬から、本選会全部門・全員の演奏を全曲(カット無しで)放送していたのです。

 しかし、これはあまりにもマニアックですので、書きませんでした。

 バイオリンの本選はシベリウスかバルトークの協奏曲でした。優勝した芸大の男性は、無茶苦茶上手いですね。もうプロですね。

 バイオリンというのは不思議なもので、現代科学の粋をもってしても、300年も昔にイタリアの天才バイオリン職人が作った、

 ストラディバリウスや、ガルネリウス、ガダニーニ、アマティと同じぐらい良い音がする楽器を作ることが出来ないのです。

 バイオリンの音というのは、人の心を惑わす、妖しさを持っています。

 官能性というと誤解を招くかも知れませんが、間違いではない。

 どの楽器の演奏者、学生も「美しい」音を目指すのは当然ですが、バイオリンはこの「妖しさ」が出てこないとダメだと思います。


◆コメント5:シベリウスはバイオリニストでした。

 

 シベリウスは「フィンランディア」(あまりに有名ですがやはり名曲だと思います。但しトランペット吹きの私は出来れば避けたい。あの「タッタ・タカタカ・タ・タッタ」というフレーズはテンポが中途半端でタンギングしにくいのです。私が下手な所為ですけど)で有名ですが、本当はバイオリニストになりたかったのです。

 しかし、致命的な欠点がありました。シベリウスはひどい「アガリ症」だったのです。

 練習の時には上手いのですが、試験の時(音楽の学生の試験とは即ち実技=演奏です)とか、リサイタルとか、「ここ一番」というときに上手く弾けない。

 これでは、演奏家にはなれません。

 この「あがり症」を克服できずに演奏者になることを断念した人が、一体、古今東西、どれほどいることでしょう

 (だからと言って、楽器を続ける資格が無い、などというつもりは毛頭ありません。趣味で楽しめば良いのです)。



 それでシベリウスは作曲家になったのですが、言うまでもないことながら、バイオリニストとしてダメな人が、必ずしも作曲の才能があるわけではない。

 演奏が上手い人でも作曲となると別です。演奏することと、作曲するのとは全く別の才能です。どちらの才能も世の中には必要です。

 幸い、シベリウスには作曲に関して天賦の才が備わっていたのですね。

 バイオリニストが作曲するとバイオリン曲がどうしても多くなりますが(パガニーニとかね)、シベリウスの場合は表現手段として「オーケストラ」を選びました。

 勿論、他の分野もありますけど、彼の名作の殆どはオーケストラが関係する作品です。

 交響曲は特に第2番が有名です。


◆コメント6:シベリウスのバイオリン協奏曲、その他バイオリンと言えばこれ、という名盤。

 

 教科書風に書くと、3大バイオリン協奏曲はベートーベン・メンデルスゾーン・ブラームスです。

この中でブラームスは名曲には違いないけれども、なにしろクソ真面目な人なので、音楽がちょっと重苦しいです。

 一度魅力が分かればいいのですが、最初はチャイコフスキーのバイオリン協奏曲の方が取っつきやすいです。

 「大作曲家」の殆ど全てがバイオリン協奏曲を書いています。

やはりバイオリンは、「人の心を惑わす」つまり「この楽器で良い音楽を書いてみたい」という、作曲家の創作意欲を刺激する「妖しさ」を持っているのだと思います。

 私の親戚の娘が弾いた「シベリウスのバイオリン協奏曲」は3大バイオリン協奏曲から見ると少し傍流ということになりますが、私は非常な名曲だと思います。

 聴いていると、不思議な「懐かしさ」「郷愁」のような感情がこみ上げてきます。

 ごく一般的にいって、北欧の作曲家の作品にはそういう面がある。

 但し、シベリウスの協奏曲は、技術的には大変難しいそうです。

 自分がヴァイオリニストで、なまじ分かるので、難しく書いちゃったのですね。


◆コメント7:ハイフェッツ

 

 さて、シベリウスのバイオリン協奏曲のCDは数え切れないほどあります。

 パールマン、諏訪内晶子さん、五嶋みどりさん、変人というか個性派のクレーメル。

 それぞれ良いのですが、やはりダントツの名人による名演はバイオリンの場合、ハイフェッツです。

 もう一人オイストラフという人がいますが、ここではハイフェッツに絞ります。

 ハイフェッツによるシベリウス:VN協奏曲はお薦めです。

 お薦めなんですが、他にプロコフィエフとか録れてありまして、ちょっと退屈してくる可能性があるのです。

 しかし、バイオリンでハイフェッツといったら、いまだに神様なのです。これこそ百年に一人の天才です。

 本当のバイオリンってのはこういうもんだ!というCDを御紹介します。

 小品集。ツィゴイネルワイゼン~ヴィルトゥオーゾ・ヴァイオリンです。

 ツィゴイネルワイゼンを弾く、と言うだけなら、日本人だって、毎コンに出るような子たちは、小学生の時に弾けています。

 それぐらい日本のレベルは高いのです。

 しかし、弾けばいいってものじゃない。

 ツィゴイネルワイゼンはとかく「バイオリニストがテクニックを見せびらかすためだけの曲」「クラシック入門用ポピュラー名曲」の扱いを受けます。

 テクニックだけ達者だけど、中身のない、音楽性の無いバイオリン弾きが演奏すると、確かにそうなります。

 ハイフェッツのすごいのは、もの凄いテクニックと、音楽性・芸術性が共存しているところです。

 だからこそ、とっくの昔に亡くなったのにいまだに、皆が聴くのです。

 シベリウスの協奏曲はさておき、この小品集は永遠の名盤です。お薦めです。


by j6ngt | 2005-12-24 22:31 | 音楽