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「米経済学者のガルブレイス氏死去=『不確実性の時代』などベストセラー」←徹頭徹尾戦争に反対だった人。

◆記事:米経済学者のガルブレイス氏死去=「不確実性の時代」などベストセラー

現代資本主義の病理に鋭い分析を加えたことで知られる米国の代表的経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイス氏(ハーバード大名誉教授)が29日、マサチューセッツ州ケンブリッジの病院で死去した。97歳だった。

カナダ生まれ。「不確実性の時代」や「大恐慌」などベストセラーを多数著し、日本でも広く知られた。

主要著書の「ゆたかな社会」(1958年)では、企業の広告・宣伝で物を買っても買っても満たされない精神的欠乏がかつての貧困に取って代わるという「依存効果」理論を提起するなど、

「現代資本主義の病理」を鋭くえぐった。(時事通信) - 4月30日17時1分更新


◆コメント:「不確実性の時代」、懐かしいですねえ。

何故かというと、私が大学一年のときに、一般教養の英語の時間が随分あったのです(法学部なんだけどね)が、そのうちの一コマは、この不確実性の時代(The age of uncertainty)が教材だったのです。

毎週かなりの量を読まされました。

難しかったけど、高校や予備校で接する「教科書の英語」ではない、れっきとした、ネイティブが読む、正真正銘の「英語の本」でしょ?

しかも「大経済学者の原著」を読んでいるというのが、如何にも「学問」の入り口に到達したな、という気分につながり(それは、やや短絡的ですがね)、嬉しかったのを覚えています。



予備校で、英語の先生から國弘正雄先生が提唱する只管朗読法、つまり、ただひたすら繰り返し音読する、という学習法を教えられ、実践していたので、

「不確実性の時代」も音読しました。毎週読む量が多いので大変だけど、パラグラフ毎に100回ぐらい音読したら、試験で満点だったのを覚えています。

いや、自慢話じゃないのです。音読は本当に効果的です。その話をすると長くなるので今日は止めておきます。

ところで、一つのパラグラフを一度に100回読むのではないですよ。10回ずつ読んでいって、また最初に戻って・・・という具合にやるのです。

あまりにも音読しすぎて喉の粘膜が充血して、ついには唾に血が混じったほどなのです。

喀血かと思い、真っ青になって子供の頃からお世話になっている近所の開業医の先生に、かくかくしかじか、と話したら、笑われてしまいました。


◆この本、題名だけ見ると分からないのですが、前半は、「経済学史」なんです。

「不確実性の時代」は経済学史が書いてあるのです。

最初に登場するのは、当然、経済学の祖・アダム・スミスです。彼が所謂「国富論」正式には「諸国民の富の性質と起源に関する一考察」で何を書いたか、から始まって、

マルクスについても、「何故、マルクスは資本主義が搾取的である、と考えたのか」とか、

ケインズってのは、「雇用・利子および貨幣の一般理論」で何を考えついたのか、などが、素人にも分かりやすく書いてあります。


◆アメリカを代表する知性が、またひとり亡くなった。

「アメリカを代表する知性」と書いたけれども、頭の良い人なら他にも沢山いるでしょう。

ガルブレイス氏は、専門は経済学なのだが、政治的な事に非常に関心があったのです。

政治的野心があったのではなく、とにかく、徹底的に戦争反対なのです。平和主義者なのですね。どんな理由があろうとも、「戦争は絶対に反対だ」と生涯、訴え続けた。

ベトナム戦争のときもずーっと反戦運動をしていたし、近年のイラク戦争は「ベトナム戦争と共に、アメリカ外交の最大の過ちである」、と繰り返し、述べていました。

本当に最後まで、イラク戦争反対と言っていたそうです。


◆終戦直後の日本に来てショックを受け、反戦思想が強まったのです。

ガルブレイス氏は1908年10月カナダで生まれたというから、第二次大戦が終わった時には既に36歳でしたが、

終戦直後、45年にアメリカの「戦略爆撃調査団」の一員として初めて日本に来ました。

東京の焼け野原を見て、広島でも生き残った人の話を聴き、あまりの惨状に大変なショックを受け、もともと戦争嫌いの家系らしいのですが、

ここに来て、確信的になったようです。


◆「通念(一般に共通した考え)を疑ってみることの大切さ」を大恐慌の時に学んだ。

反戦思想以外にも、ガルブレイス氏は孤高の人でした。

アメリカが経済大国となり、人々が浮かれているときに、「物質的な豊かさが幸福とは限らない」といい、消費社会に対する警鐘を鳴らしたのです。

株価がグングン上がって、人々がこれもまた浮かれていると「バブルだぞ。暴落するぞ」と冷水をかける。

だから、アメリカの政財界の「偉い」人達からは疎んぜられていたようです。



ガルブレイス氏は何しろ、大恐慌を実際に体験した人だから、言葉に重みがあります。それだけに、無視できない。

無視できないから、凡人にとっては「うるさい」存在だったのでしょう。



「大恐慌」とは1929年10月24日「暗黒の木曜日に」ニューヨーク株式市場が大暴落して、その後の4年間でアメリカでは銀行が一万行も倒産して、失業率が25%というものすごいことになり、

それが世界中に波及した、人類史上最大の経済的混乱ですね。

それをガルブレイス氏は見ているわけです。だからバブルが如何に危ないか、骨身に沁みているのですね。

ガルブレイス氏によれば、「最も知的であるべき人達が、株価が暴落するその時まで、如何に自分たちが楽観的すぎたかに気が付かなかった」そうです。有名な経済学者も皆、浮かれていた。

ガルブレイス氏は、そのときに、「通念(一般に共通した考え)を疑ってみることの大切さ」を身を以て学んだ、と言っています。



常に、反骨精神で、経済学の世界でも孤高の人だったようですが、サミュエルソンというノーベル経済学賞受賞者で、かつては「経済学の教科書」=「サミュエルソンの『経済学』」とまで言われた経済学者が、

「自分たちノーベル賞を貰った者が書いた本は半世紀後には誰も読まないだろう。しかし、ガルブレイス氏の本は読まれ続けるだろう」

と言うぐらいのひとなのです(因みに、ガルブレイス氏はノーベル賞を取っていません)。


◆非常な親日家だったのです。

こういう超一流のインテリが親日家であることは、日本にとって有難いことでした。先日、故・ライシャワー博士の事を書きました。

ガルブレイス氏はライシャワー博士のように日本で生まれたのではなく、日本語を話すことも出来ませんでしたが、

何しろ焼け野原から世界第二の経済大国にあっという間に復興するところを全部見ているわけです。

日本に来る度に、大企業のお偉いさんだけではなく、メーカーの工場なども訪れ、現場の労働者にも会うのです。

そういう工場労働者から官僚まで、「勤勉に働く日本人」に心を打たれ、あれほど戦争で滅茶苦茶に負けたにも関わらず、

平和国家として急速に復興したことに「驚嘆した」とのことです。

こういう先生がまた、一人、亡くなった訳です。誠に残念です。

ご冥福をお祈り申し上げます。


by j6ngt | 2006-05-01 22:00 | 訃報

後藤田氏について、書き足りないので、また書く。

◆Yahoo!検索ランキング4位に「後藤田正晴」

 

 私は、一種の情報収集活動を生業(なりわい)としている。

 というと、何か諜報機関か公安か、と思われそうだが、それは言えません。

 そうかもしれないし、そうでないかも知れない。

 それはどうでもいい。

 いずれにせよ、情報収集といっても、なにもスパイ映画のようなことをするのではない。

 どこの国の情報機関も同じだが、情報源は殆どが、オープン・インフォメーション、つまり、誰でも手に入れることが出来る、一般に公開された情報なのだ。

 ただ、商売だから、普通の人が無視してしまうような記事から、貴重なヒントを得たり、新聞だったら記事よりも写真の方が雄弁に事実を物語っていることもある。

 目の付け所が違う。別の云い方をすれば、独特の「嗅覚」が求められる。



 それはともかく、何を書きたいかというと、私が今日驚いたのは、Yahoo!検索ランキングをチェックしていたところ、

 確か、午前11時30分頃だったと思うが、検索キーワードの4位が「後藤田」になっていたことである。失礼ながら、長老政治家が亡くなっても検索上位に来たことは、ほとんど無いのである。

 人々の関心の高さを、端的に表している。


◆「これほど惜しまれた死は珍しい」(岩見隆夫氏 毎日新聞特別顧問)

 

 岩見氏はよくテレビに出ているからご存じの方も多いと思う。

 失礼ながら一見、クセのある人物に見えるけれども、主張は非常にバランスが取れていて、合理的だ。

 毎日新聞に毎週土曜、岩見隆夫の「近聞遠見」というコラムを書いている。

 同時に、日曜の朝6時からTBSで放送される(従って、あまり見ている人はいない)時事放談という番組に出ているので、

 後藤田さんと一緒に出演した事がたびたびあった。

 というか、旧知の仲なのだ。現場の政治記者だったころから、現役バリバリの後藤田さんをよく知っている。

 岩見氏が最新号で、「これほど惜しまれた死も珍しい」と書いている。同感である。

 ネット検索を観察し、或いはブログで、後藤田正晴氏逝去を真面目に取り上げているエントリーが多いのを見ると、それは、本当であることがよく分かる。

 信じられなかったら、ココログのホームページの右側にココログ全文検索の欄があるから、

「後藤田正晴」と入れてサーチしてご覧なさい。あまりにも沢山のブログがヒットすることに驚くだろう。


◆後藤田さんに関して、非常に詳細かつ簡潔にまとめた方がおられる。

 

 このサイトは大変にありがたい。

 http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/3429/ijin/gotouda.htmlである。

 後藤田さんに関する、極めて詳細かつ簡潔な資料である。


◆後藤田さんの最後の言葉は、「時事放談」8月21日放送分にもかなり詳しく載っている。

 

 私は、9月23日に後藤田さんの言葉を引用したが、それは、この時事放談の発言から抜粋したのである。

 迂闊だったが、時事放談のWebサイトには、過去の出演者達の発言の要旨が記録されている。

 後藤田さんの最期の出演での発言は8月21日分に記録されている。

長くなるが引用する。
 

 ― 今回の解散は?

後藤田 :「僕は無理があったんではないかと思いますね。参議院で法律案が否決になったんですよね、

その時に重要な法案であれば、院内の手続きとして両院協議会でどう扱うかを決めてそして場合によれば衆議院で再審議という事ですね。

だけどもあの状況じゃ時間的にも、また票数も否決になる事は確実ですよね。

しかし、やはり民主主義というのは手続きが一番大事なんですよね。ならば、院内の手続きを踏んだ上で解散というのが当然ではないのかな。私は手続きが粗雑すぎるのではないかと思うんですよね。

それから、もう一点はやはりこの法律案が否決だったんですね、ところがその法律案を解散後は郵政法案の闘いの選挙だとおっしゃる。

代議制民主主義というのは憲法改正の様に国民投票にかけるなら、憲法で決まっていますから良いですけどね。

やはり、代議制の場合、立法府で通らなかった法律案を実質的に国民投票にかけるのと同じような手続きになりつつあるんですね。

これは私は代議制の上から見ても少し行きすぎではないのかな。

3番目は、非公認。私は、これは当然だと思います。37名の反対派は…。

しかし、それへの立て方が、少し無理ではないのか強引すぎますよと、見方によれば極悪非道なやり方ではないのか。

国民というのは感情で動くわけですから、あんまり強引な事をやるとしっぺ返しを受けると…。

そこらはやはりお考えにならないかんのではないかなと。

まぁ、こういった事を色々考えましてね、政治は厳しい闘いですから、こういう成り行きもある意味においてはやむおえんなと思いながらも、

もう少し情味のあるやり方というものでやらんといかんのはないかなぁと、こんな気がしますね」

― 政界再編は?

後藤田 :「いや、再編よりも、自由民主党というものは、あまり非情な政治はやってもらいたくない。

それから、民主党に対しては野党第一党というものはどういうものだと、自由民主党とあなたどこが違うんですかと、そこをはっきりしてもらいたい。

あるいは、公明党に対しては、やはり福祉と平和の立党の精神、これをいつまでも守ってもらいたい。

あとは共産党と社民党ですね。共産党はマルクス主義はやめて当面は共産党という党名を改めて日本の政治の中で、

社民党と一緒になって、社会主義的な政党としての柱を一本立ててもらいたいと、こんな気がしますけど…」

― 『官』から『民』へについては

後藤田 :「今の『官』から『民』へという時に、私は是非言いたいのは、一体『官』が担当しなければならない境界点はどこまでで、

それから、利潤というものを美徳としておる『民』が引き受ける事が出来る限界はどこだと。

そこの分界線を明示しないままに、『官』から『民』へ、それは少し乱暴だと…。議論でもう少し定義をしてもらいたいと。

そうでないからこそ、現在イラクで何が起きてますか、軍事会社じゃないですか。

株式会社が大変な高い値段で戦の一部を引き受けてやっている戦いなんて、これは国の役割ですよ。

それが民間会社になっている、こんなべらぼうな話があるわけがない。

しかし、うっかりすると『官』から『民』へと何でも境界なしにいうことは、私は非常に危険性がある。

これはもう少し真剣に分界点を示して、ここまではこれは『民』に任していいではないかと、ここまでか『官』がやらなきゃいけないんだと…」


◆後藤田さんは「これは遺言だ」といっていたそうだ。

 

 岩見隆夫の「近聞遠見」の最新号を読んで、ギョッとした。

 詳細はリンク先(当分無くならないはずだ)をご参照いただきたいが、岩見氏によれば、

 

本番前の打ち合わせで、後藤田は

 「どうしても言っておかなければならないことがあるんだ。これは遺言だからな」 とつぶやいたという。

 スタッフは、おやっ、と思った。ひょっとすると、死期が近いことを予感しているのではないか。

 しかし、いつもどおりに後藤田はしゃきっとしていた。案ずることはあるまい。先日も

 「来年のことはわからんぞ」 と笑っていたぐらいだから。

 番組が始まり、司会者が 「選挙となると、現役のころを思い出して血が騒ぐ?」と問いかけると、後藤田は

 「騒がんさ。よくぞあんな修羅場におったもんだ。ぼくは(旧徳島全県区で)いつも同士打ち、しかも相手は総理大臣(三木武夫)だから」

 と軽く応じた。 しかし、本題に入ると、とたんに熱を帯び、眼光険しく、背筋がぐっと伸びる。


 ということだ。

 そして、その後、先ほど長々と引用した発言が始まるわけである。

 実際の放送ではもっと話しているはずだ。 



 ひょっとしたら、後藤田さんは本当に死期を悟っておられたのかも知れぬ。

 私の愛読するある日記の作者は、「後藤田氏は、第3次小泉内閣が発足する2日前に亡くなられたが、

 これは、後藤田氏が国民に警鐘を鳴らしたのだ。政治家としての「最期のカード」を、これ以上はない、 というタイミングで使われたのだ。

 自分のその思いは殆ど確信に近い」

 と書いておられた。 私は、これには、感銘を受けた。

 こういうことは、理屈ではない。人は自殺なら別だが、この世を去るタイミングを調整出来る者ではない。

 そんなことは、言われずとも承知している。

 しかし、後藤田さんのすさまじい、民主主義と平和への執念を思うと、この日記作者は、真理を洞察しているように、私には思えるのだ。


by j6ngt | 2005-09-27 01:12 | 訃報

「後藤田正晴元官房長官死去」 一貫して論理的な主張を持っていた政治家だった。

◆記事:後藤田元副総理が死去、91歳=カミソリの異名、護憲派の論客

 

抜群の情報収集力と的確な判断力から「カミソリ」の異名で知られた後藤田正晴(ごとうだ・まさはる)元副総理が19日午後8時53分、肺炎のため都内の順天堂大病院で死去した。91歳だった。

 徳島県出身。密葬は親族のみで執り行われた。「お別れの会」を東京、徳島で行うが日取りなどは未定。喪主は妻松子(まつこ)さん。(時事通信) - 9月21日15時1分更新


◆コメント:つい最近まで、健在だったのに。残念。

 

 何故、残念かというと、正論を述べる人だったからだ。

 後藤田さんは東大法学部から「内務省」という警察・地方行政・選挙などを統括する戦前の役所に入った。

 内務省は1947年に廃止になったけれども、その後、警察庁長官まで上り詰めたエリート役人だ。

 新聞を読むと「カミソリ」の異名を持っていたと必ず書いてあるが、それは、今の誰かさんみたいに、自分に反対する人間をばっさり切り捨てるということではなくて、

 カミソリのように鋭い頭脳、明晰な判断力を持って、はっきりと「言うべき事」を言う人だった、という意味だ。
 
 後藤田さんが偉かったのは、私欲に固執しなかったことだろう。

 そりゃ、人間だから多少の権力欲などあったかも知れないし、

 政治家だから汚い手を使ったことも有るかも知れない(←本当は無くなったばかりの故人にこういう事を言ってはいけません)が、

 総理に、という声もあったのに辞退した。晩年は「いつまでも現役にいるべきではない」と言って、まだ元気だったが引退した。

 そう言うところを私は「私欲がない」と言っているのである。

 そして、もう一つ、大事なこと。

 後藤田さんは、思想が一貫していた。

 私は覚えている。

 後藤田さんが、第一次中曽根内閣の官房長官の時に、ペルシャ湾に自衛隊の掃海艇(機雷を取り除く為の船舶)を出せというアメリカの強い要求があった。

 ところが、後藤田さんは、「絶対にいけない」とテコでも譲らなかった。「これを認めるなら自分は官房長官を辞める」といってまで、中曽根氏を説得し結局辞めさせたのだ。

  それまで、私は、「後藤田さんて、何だかいろいろ権謀術数を駆使して権力をほしいままにしているのだろうな。頭いいからな」

 と、失礼ながら、色眼鏡で氏を見ていたのだが、この時は驚き、感心した。

 今、そんなことを総理大臣に言える人がいますか? 郵政反対派があっという間に賛成派になる世の中だ。



 後藤田さんは、自民党だけど、徹底的に護憲派。別に左とか右とか関係が無い。

 回想録を読むと、その主張の根拠はずっと変らない。

 「自分自身が戦争に行っているから、その時の経験から分かるが、軍隊というのは、必ずエスカレートして、行き過ぎた行動を取るものだ」、ということと、 

日本はアメリカのいいなりになりすぎだ」、

 という2点に集約されるのだ。 この思想はずっと変らなかった。

 だから、小泉首相がイラクに自衛隊を派遣したことをずっと批判していた。

「イラクへの自衛隊派遣は間違っている。小泉は戦争を知らない」って言っていましたよ。

 官房長官の時から、変っていない。一貫している。

 主張を変えないのは、それなりの思想があるからで、本来、そういう人でなければ、政治家になってもらっては困る。

 郵政民営化に反対していたのに、小泉首相から公認を外されたらあっさり寝返って、郵政民営化賛成に票を投ずる代議士なんて信用できない。



 ここで反論があるだろう。

 一貫していると言えば小泉首相も「郵政民営化が一番大事だ」と言い続けている点において、一貫しているではないか、と。

 確かに。

 しかし、間違った方向に一貫していても仕方がない。

 小泉首相の主張には論理性がない。何故郵政民営化が一番大事なことなのか。ついに、最後まで論理的な説明がなかった。

 「これが行政改革の始まりなんです」

 何故?郵政を変えても、国の政治が全て良くなるわけがない、ということぐらい中学生でもわかるであろう。



 後藤田さんが亡くなって、氏の発言を改めて読み返してみた。

 そこには、やはり論理性・合理性がある。同じ「一貫性」の持ち主でもここが大きな違いだ。

 何しろつい先日まで、健在だったのだから、8月8日に郵政民営化法案が参議院で否決されて、小泉首相が衆議院を解散したときも、見ていたのである。

 そして、こういう言葉を残している。

 

「代議制民主主義だよ、日本は。立法府で通らなかった法律案を、(衆院解散によって)実質的に国民投票に掛けるのと同じような手続きになりつつあるのは、代議制の上からみて、行きすぎではないか。憲法改正のように、国民投票の手続きが憲法で決まっているならよいのだけどね」(8月21日の民放テレビで)

 91歳である。本来、もうどうでも良い、と知らんふりをしていてもいいのに、最後まで「論理」を貫かれた。これは、立派だ。

 小泉総理は後藤田さんのこの最後の言葉をもう一度よく読んで頂きたい。

 後藤田正晴氏のご冥福を祈る。


by j6ngt | 2005-09-23 01:55 | 訃報