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やや、easiness(安易さ)に傾きすぎている日本。

◆教育テレビ「趣味悠々 かんたんピアノレッスン」を見て思う

 

 世の中、色々道具が出来たり、便利なシステムが出来たりして、良いこともあるが、最近の日本を見ていると、何事もあまりにも簡単に済ませたり、簡単に諦めて容易な選択をする風潮があるように思える。

 世間が、所謂「専門バカ」(自分の専門領域にしか関心を示さず、他のことは一切お構いなし、という人)だらけになっても困る。

 しかし、一方で、人間があることを身につけようとするときは、基礎から時間をかけて、相当のエネルギーを意識的に、集中的に注がなければ、ものにならないという事柄も多く存在することは間違いがない。



 NHK教育テレビで毎週水曜日の夜に、中年から(失礼ながら)初老にかけての、一般人(素人)で、生まれて初めて楽譜に接し、ピアノの鍵盤に触れる、というおじさんたちが、僅か3ヶ月で、ビリー・ジョエルの「Honesty」(うんと易しく編曲したものとはいえ、とりあえず、両手で別の動きをする、つまり、かりそめにも「ピアノ音楽」)を弾きこなせるようになろうというのだ。

 なんと、最終回には、スタジオで(と言うことは、全国に放送されるのだから、いくら教育テレビの低視聴率の番組とはいえ、数万人の前で)発表会(子供の街のピアノ教室で言うところの「おさらい会」ですね)をやろう。というのだが、はっきり言って、無責任な企画だと思う。


◆だって、オタマジャクシが全く読めない人が・・・・。

 

 物事には、順序がある。

  ピアノを弾くのにも、最低必要とされる知識がある。

 この番組における、「生徒」のおじさん達はドレミファソラシドが分からない状態だったのだ。いまでもあまり分かっていない。

  ドレミファソラシドがそれぞれ、どの鍵盤に相対しているか。ドレミファソラシドは楽譜ではどのように書き表されるのか(右手のト音記号と左手のヘ音記号では位置が異なる)。

  このようなことを、まずは、覚えていくら退屈でも、暫くは単調な練習をしなければならない。

 「急がば回れ」という。これを身につけないことには、どうしようもない。これは、精神論ではない。

  例えば、「バイエル」の最初のほうでは、何度も同じようなことを繰り返す。
 「ドミドミ・ソドドド・レレレレ・ミミミミ」と右手で弾き、左は、「ドー・ドー・ドー・ドー」とやっている。如何にも音楽的には幼稚である。

  しかしながら、これまで動かしたことのない指の動きをマスターするには、こういうことから始めるしかない。


◆天才でない限り、3ヶ月では曲は弾けない

 

 厳密に言えば、“Honesty”の「超イージー編曲版」は弾けるようになる人がいるだろう。

 しかし、それ以外の曲は弾けないだろう。 また、ゼロからやり直しだ。

 基礎が無いということは、そういうことだ。


◆大人だって、基礎からやっても間に合う。プロにはなれんがね。

 

 大人になってからピアノを習い始めて弾けるようになるかと問われても、一概には答えられない。

 はっきり言えば、かなりの程度は才能に依存する。いくらやっても、無駄、と言う人もいる。

 やってみなければ分からぬ。

 大人とは言えないが、本当にあった話。

 高校生になってから、ピアノを習い始めて、音楽大学(音大と言ってもピンからキリまであるが、割と有名なところ)に入ってしまった子がいる。

 これですら、目の玉が飛び出るほどの「奇跡」なのである。そういうこともごく稀にはある。


 中年から初めてピアノに接して、プロになるのは、ほぼ100%、不可能である。

 だが、別にプロ並に上手くならなくても、十分に楽しめる音楽的な作品は沢山ある。
 基礎から真面目に繰り返しを厭わず、「継続は力なり」を信じて、バイエルや音階練習を続ければ(ここで大切なのは、短気を起こして、或いは見栄を張って、すぐに速いテンポで弾かないことだ)、ソナチネや、バッハの2声のインヴェンション、3声のシンフォニアなどは弾けるようになる。

 バカにしてはいけない。これらは、プロのピアニストですらCDに録音する、れっきとした演奏会用の曲なのだ。

 楽器の練習とは本来そういうものだ。


◆難しいものは難しいのだ。

 

 ここまで読まれた方の中には、「まあ、堅いことを言いなさんな。Honestyしか弾けなくても、本人が楽しければいいじゃないか」と思った方もおられよう。

 そういう方は、来週の水曜日の教育テレビ「趣味悠々」をご覧なさい。3人の中年男性の表情の何と暗いこと。気の毒なほどだ。

 要するに、何にも身に付いていないのである。

 九九を覚えないまま高校生になって微積分の授業を聞いているような気分だろうと思う。

 「簡単ピアノレッスン」という副題がついているが、3ヶ月で人前で曲を弾けるまでになろうなどという「いい加減」なことをすると、却って辛いのである。

 最後の発表会では、恐らくあがりまくって、曲が止まってしまい(音楽演奏中の事故で「止まる」ことより大きな事故はあり得ない)、もう何が何だか分からなくなり、ピアノなど二度と見たくもない、ということになりかねない。痛々しい。

 難しいものは難しいのだ。難しいことをごまかして、簡単だと言ってはいけない。

 難しいことを、練習して、薄皮をはがすようにではあるが上達していくのが、本来の楽しさである。

 電子オルガンなどで、キーを押さえているだけで、楽器が一曲勝手に弾いてくれる、という商品がある。

 易しいには違いない。しかし、全然面白くは無いだろう。

 私はやらないが、テレビゲームだってそうだろ?簡単にクリアできるのは面白くないだろ?

 難しいのをクリアした方が達成感があるだろ?

 テレビゲームと楽器の習得とは次元が違うが、感覚としては、まあ、そういうことだよ。


◆一つのテレビ番組が日本の全てを象徴しているとは言わないが、

 

 ある程度は象徴している、と感じるのである。

 何でも、簡単に済ませようとすること。

 少し困難に出遭うと諦める。嫌になって止めてしまう。努力をしない。

 そういう心理的傾向が、色々な社会の「たるみ」として現れているように、思われる。


by j6ngt | 2005-08-04 01:08 | 芸術

日本、チームで銀=ロシアが4連覇-世界水泳・シンクロ←どうしても金を取れない原因に関する一考察

◆記事:日本、チームで銀=ロシアが4連覇-世界水泳・シンクロ

 

 【モントリオール(カナダ)23日時事】水泳の第11回世界選手権第7日は23日、当地のジャン・ドラポー公園内各会場で行われ、シンクロナイズドスイミング・チーム決勝のフリールーティン(FR)で日本がテクニカルルーティン(TR)との合計97.834点で2位となった。日本はこの種目で4大会連続の銀メダル獲得。

 合計99.334点のロシアが4連覇を達成。3位はスペインだった。シンクロはこれで全日程を終了し、日本は銀2、銅1のメダルを獲得した。 (時事通信) - 7月24日10時1分更新


◆コメント:JIROの独断的日記では殆ど初めてのスポーツネタ。世界水泳シンクロで日本が金を取れない要因に関する一考察。
 

 初めてではなかった。以前、プロ野球の審判について書いたことがあった。 もともとスポーツは、するのもみるのも大嫌いであるが、たまたまテレビでみてしまうことがある。

 競泳に関しては、全く技術的なこともレースの駆け引きも分からないからコメントしない。



 シンクロに関しては、綺麗なお姉ちゃんが泳いでいるから、野郎の泳いでいるのよりは見る気がする。

 あれは、ものすごくしんどい種目であろうとおもう。運動量がハンパではない、という意味である(他は楽だといっているのではない)

 もう、過去の人だが、かつて、小谷実可子選手が、毎日水の中にいる時間の方が長くいほど練習し、肺活量が6000cc台(一般人は3000cc台だろう)もあるのに、何分も演技を続けていると、息が苦しくて、文字通り目の前に星がちらついて見える、といっていた。

 それほどの苦しい練習を毎日、10時間も、何年も続けて、それでも日本はどうしてもロシアに勝てない。

 審査員が白人だから、白人が有利なのだという見方も出来る。それは、確かにあるだろう。

だが、それだけではないと思う。


◆音楽がダサすぎるのである。

 

 シンクロの泳法に関する技術的な知識は皆無であるから、そのことに関しては触れない。
 但し、私の、比較的得意な領域である、「音楽」の見地から観察すると、言いたいことがある。あれは、一体誰が選曲しているのだろうか?

 日本のシンクロの演技で用いられている音楽は、はっきり書くが、あまりにも、野暮ったい。ダサい。

 シンクロナイズドスイミングとか、フィギュアスケートは半ばスポーツで、半ばパフォーマンス(演技)であるから、芸術性が求められる。

 日本のスポーツ関係者で芸術性を兼ね備えている人は、失礼ながら、日本水泳連盟には皆無なのだろう。

 早く、バレエと、音楽の専門家に相談した方が良い。

 とにかく、今のを聞いていると、あまりにも薄っぺらい曲が、ひどい録音と、再生装置で用いられていて、こちらが赤面してしまう。


◆東洋とか日本情緒とか、考えない方が良い。

 

ガイジンと同じように、例えばチャイコフスキーのバレー音楽を使ったら損だ、という計算から、「日本らしさ」「東洋の神秘」を演出使用としているのかも知れない。

 ところが、実際には、水戸黄門のクライマックス。

 「ひかえおろう」直前の助さんと格さんが悪党を懲らしめるシーンで使われているような「効果音楽」と大差無い。

 中途半端なのだ。ああいう音は、全て、音楽自体五線譜で書かれ、西洋音楽の平均率の音階が用いられている。西洋音楽なのだ。

 しかし、日本らしさを出さなければならない、と考えるからであろう、三味線なんかがペンペケペンペンと混ざっている。もう、目も当てられない。



 それでは、本格的に、日本の音楽、たとえば、東儀秀樹氏の吹くひちりき(短い笛みたいなの)や笙(しょう)で演奏した「雅楽」がシンクロナイズドスイミングに使えるかというと、それは原理的に不可能である。

 純粋な日本の音楽には拍子が無い。西洋音楽は「1,2,3,4,」とカウント出来る。だから、踊りのタイミングを合わせることが出来る。

 踊り自体も西洋のバレエは、狩猟民族の踊りだから、跳ねる。ジャンプするわけです。いわば垂直の踊り、縦の踊りなのだ。

 これにたいして、歌舞伎とか能とか日本舞踊とか思い出してご覧なさい。ジャンプなんてしないでしょう。すり足で、床をズズーっと滑っていく。日本の踊りは水平の踊り、横の踊りなのだ。

 どちらが良いといっているのではない。本質的に両者は違う、といっているのだ。


 ◆シンクロは西洋の縦の動きなのだから、西洋音楽で、日本人に会うものを懸命に捜すしかない。

 

 シンクロナイズドスイミングで金メダルを取りたかったら、ロシアチームなどを見れば分かるとおり、シンクロは、西洋の踊り(その究極的に洗練されたものがバレエだ)、縦の踊りを基調としている(勿論、横に流れるような動きもあるが、本質はあくまで垂直である)のであり、その土俵で戦うしかない。

 日本風を厳密に追及したら横のリズム・拍子が無い音楽を使わなければならない。それでは、シンクロナイズドスイミングはできない。

 要するにはじめからハンディを負っているのだが、いくら何でも、もう少しましな西洋音楽の選び方があるはずだ。

 とにかく、中途半端に「フジヤマ・ゲイシャ・サムライ」を西洋の大衆に連想させるような、三味線入りの水戸黄門風の「ペンペケペン」を使ったいたら、永久に金は取れないと思う。

 あの、やたら、びしびし怒鳴りつける関西弁のコーチのおばちゃんが全てを決めているのだとしたら、早く芸術監督を見つけることを日本水泳連盟は考えた方が良いと思います。


by j6ngt | 2005-07-27 00:09 | 芸術

思いがけず世界が広がるとき。昨日の続き

◆知らなかった世界に触れる喜び。

 

 昨日、「 オーディオブックというもの。アイ文庫ってご存じですか? 」という文章を、いつものようにWeb日記のENPITUの他、ココログエキサイトブロッグの3つのサイトにアップした。


◆アイ文庫さんからはメールを、また、「表現読み」を実践なさる渡辺知明さんからコメントを頂戴した。

 

 昨日リンクを貼らせていただいた、アイ文庫さんからはご丁寧なお返事を頂戴し、恐縮している。

 昨日、私は、海外では「何故か」文章の朗読を聴く習慣が根付いていると書いたが、アイ文庫さんから、ヨーロッパでは、昔から、音楽の演奏会と同じように、朗読会という「公演」が日常的に行われていること。長時間、移動することが多く、その間、朗読のテープを聴くことが多いこと、などの事情が、オーディオブック普及の背景になっているらしいこと、を教えていただき、興味深かった。

 また、ココログか、エキサイトブロッグをお読みの方はご覧になれるが、「朗読」をさらに発展させた(と解釈させていただきました)「表現読み」という、音声による言語表現手段を提唱・実践なさっている渡辺知明さんが、ご自身のBlog 表現よみ作品集というサイトを、教えてくださったので、早速拝聴した。


◆様々な音声表現。

 なるほど。

 昨日の日記で、私は、朗読と、音楽の演奏はかなり近い要素がある、という意味のことを述べたが、アイ文庫さんからのお返事には、「その通りだ」というお話があって、大いに我が意を得た気分になった。

 そしてさらに、渡辺知明さんの「表現読み」を拝聴したところ、作品は異なるけれども、読み方(音声化)のアプローチが、大変に個性的であることがすぐ分かった。しかし、奇を衒っているのではなく、自然に耳に馴染む。

 これは、「どちらが優れているか」という判断ではない。「違う」のである。

 これこそ、個性であり、私が長く親しんでいる、音楽の演奏芸術の領域と同じだな、とつくづく思った。

 言うまでもないことだが、念のため申し添えるけれども、これは、ピアノを習い始めて一ヶ月しか経っていない生徒と、リヒテルや、ポリーニの演奏を比べ、「どちらが優れているか」といったら、それはバカで、全く異なる次元の話であることは、言うまでも無い。


◆そこから派生して色々と、今日初めて知ったこと。 

 

 恥ずかしながら、「音声のブロッグ」が存在することは知らなかった。

 ケロログ | VOICE BLOG PORTAL - Podcasting対応/声によるウェブログ -がその代表格のようですね。

 他にもあるのだろうけれども。

 音声によるブロッグである。音楽ではない。

 また、音声も文学作品の朗読ばかりではなく、若い女の子がラジオのDJ風に早口でまくし立てているのもあるし、まあ、色々ですが、私は知らなかった。

 そこで、早速、はてなブックマークに登録しようとして、驚いた。
 既に、42人も登録しておる。みんな、よく知っているね。


◆音声認識ソフトの使い方で、目から鱗がおちた。

 

 渡辺さんが管理なさっている別のブロッグ、Blog ことば・言葉・コトバを読ませていただいたら、リンクに「音声認識」という項目があり、ソフト好きの私は、思わずごくりとつばを飲み込んだ。

 音声認識 音声入力 ソフト ドラゴンスピーチ7である。

 うずうずしてくる。しかし、これを「キーボード入力の手間を省くため」、という発想で導入すると、きっと後悔するだろう。

 手書き、若しくはキーボードから入力した文章と同じぐらい、文法的に破綻が無く(或いは少なく)、読みやすい文章を口述できる人は、ほとんどいないだろう。

 それができるのは、相当頭が良くて、訓練を積んだ人だろう。

 一般人が話した言葉をテープに取り、文字に起こしてみると、とてもそのままでは、原稿には使えないことが、良く分かる。

 途中で、えーと、とか、あのーとか、不要な言葉が入る。同じフレーズを不必要に繰り返したり、センテンスの途中から、主語が変わることも日常茶飯事だ。

 渡辺さんの発想は違うのだ。

 音声認識ソフトを原稿作成用に使うのではなくて、音声言語表現の訓練の為のツールとして使っておられるのだ。

 1番目は、発音の訓練用に使う。

 つまり、音声認識ソフトがきちんと認識できるようにするためには、かなり明瞭な発音が必要だということだ。

 音声認識ソフトを使う2番目のメリットとしては、文章の構造を考えるようになることだという。

 言葉の意味のまとまり(音楽で言えば、フレージング、ですね)を理解して朗読すると、認識率が高まる。意味が分からずに読むと、とたんに認識率が下がるという。

 音声認識ソフトは、大抵の人は、キーボードが面倒くさい、という発想だが、なるほど、渡辺さんのような使い方もあるのか、と思って感心した。


◆混乱しているが、まとめ。

朗読とは違う、「表現読み」というメソッドを探求している方がおられること。

音声を主としたブログサイトが存在すること。

音声認識ソフトの使い方。

など、新しい発見が立て続きにあった。色々なものに一度に遭遇して、私の脳は、若干興奮気味、かつ、やや混乱している。


by j6ngt | 2005-07-01 01:39 | 芸術

オーディオブックというもの。アイ文庫ってご存じですか?

◆プロによる日本語の朗読を聴くと、大変興味深い。

 

  日本語を朗読する専門家のなかで、もっとも、なじみが深いのは、NHKのニュースアナウンサーであろう。

 あれも、勿論、大変な仕事だ。

 我々は母国語である日本語を朗読することなど、極く、易しいことであると考えがちになるが、それは、とんでもない勘違いである。

 ウソだと思ったら、あなたの手元にある新聞のどの記事でもよい。 ほんの一節でよいから声に出して読み、録音して、自分で聴いてみると良い。

 プロのアナウンサーの発音、イントネーションが如何に明瞭で、訓練を要するものであるか、良く分かるだろう。そして、自分の音読が如何にモゴモゴしていて、何を言っているのかわかりにくいことに唖然とするであろう。


◆小説の朗読を聴いてみるともっと面白い。

 

 ニュースが悪いというわけではないが、文学作品は、どの言語においても、その表現力を最大に引き出す「言葉の芸術」である。

 勿論、黙読していても十分に面白いのだけれども、これを、音声の専門家、すなわち、俳優さんや声優さん達が如何に表現するかを聴くと、大変に興味深い。

 最近、偶然に発見した、アイ文庫というサイトを拝見、拝聴した。

 ご覧になれば分かるが、無料、有料のコンテンツがあり、今は、漱石の「草枕」の音読を無料で聴くことが出来る。

 勿論、一度に全部を音読したら、大変な時間になるので、毎日少しずつ配信している。

 私の好きな「坊っちゃん」などは既に無料の配信は終了しているが、とにかく、色々な媒体を用いて、CD通販もしているし、電子文庫パピレスにオーディオブックのコーナーがあるとは、知らなかったが、電子書店パピレス 検索:[発行]アイ文庫をご覧になれば分かるように、既にかなりのオーディオ・ブック(「音声本」とでも訳すのでしょうかね?)を買うことが出来る。

 勿論、プロの声優さんが朗読する、という付加価値が加わっているので、紙の本に比べたら割高だ。

「坊っちゃん」は11節に分けて売られていて、それぞれが、525円するから、全部買ったら、5700円以上する。しかし、面白い。


◆余談だが、ロンドンでは現代小説のオーディオブックを、普通に本屋で売っていたのです。

 ロンドンに駐在していたときに、現地の本屋に行って驚いたのは、あちらでは、文学作品を朗読したテープ(当時はまだテープでした)を、古典は勿論、現代のミステリー、サスペンスのたぐい(フリーマントル、ジェフリー・アーチャー、フレデリック・フォーサイス、パトリシア・コーンウェルなどなど)がどんどん売られているのだ。

 これは、別に「文盲」や「視覚障害者」の為ばかりではない。

 一応インテリ層の人間に確認した(イギリスは階級社会だ)のだが、「詩や小説を聴く」という習慣は、以前から定着しているのだそうだ。

 日本で思いつくのは、落語のテープ(もっと昔は落語のアナログレコード、LPというやつ)だ。これは、昔から沢山ある。ところが、どういう訳か、散文の文学作品をプロが朗読したものを聴くという習慣がない。

 どうして、この違いが出たのかは、考え出すと、一冊の本ぐらい書けそうだから、ここでは、止めておく。


◆自分の文章をプロに音読してもらったら・・・と想像して見る。

 

 さて、文豪の作品のが音読されているのを聴いて、ふと、考えた。

 恐れ多くて、今、そんなことを依頼する気はないのだが、一度でよいから、自分の書いた文章の中で、比較的出来が良いものを、プロの声優さんが音読してくださったら、どのように聞こえるだろう、と想像してしまった。

 因みに、アイ文庫さんでは、それなりのものをお支払いすれば相談に乗ってくださるようで、問い合わせフォームがある。

 いやー、でも、やっぱり、ちょっと、恥ずかしいな。

 それでも、将来的には、結構、役者さんの仕事として面白い分野になるのではないだろうか。

 面白いというか、他にも役者さんは大勢いるし、劇団はあまた存在しているが、失礼ながら、大抵、芝居などというのは儲からないから、とりあえず、経済的な基盤を確立する一手段となりうるのではないか、と考えたのだ。

 日本で、モノやサービスを売るのに成功するためには、「ブーム」を作ることだ。短期間で燃え尽きるかもし知れないが、少なくとも、「ブーム」の最中の日本人の熱狂はすごいから、かなりの収益を産むはずである。

 自分の文章ばかりではない。仲の良い友人の文章を、プロに朗読して貰ってCDにして、プレゼントしたら、結構喜ばれるのではないか。

 うーむ。ここまで書いて考えたのだが、これは、内容にもよるだろうね。

 あまりにもくだらん、下世話ばかり書いてあるブロッグを音読しても仕方があるまい。却って、相手が恥ずかしい思いをすることになりかねない。音読する役者さんなり声優さんもあんまり乗らんだろう。この辺が難しいところだね。商売としては。


◆とにかく、プロの朗読を聴いてみることをお奨めする。

 

 自分の文章のことは、とりあえず、置いておく。

 まずは、「草枕」を聴いてください。 感心しますよ。 なるほどねえ、と。

 朗読するとき、その役者さんが、何処で間をとるか、どのように抑揚をつけるか。流石プロだけのことはある。素人には思いつかない解釈があるものだ。と感動する。

 ところで、なぜ、私が、朗読に興味を持ったのか、自己分析してみてわかった。

 これは、かなり、音楽の演奏に似たところがあるのだ。

 音楽では、ご承知の通り、楽譜上で、音符の長さ(音価といいます)、音程、リズム、テンポ、音の強弱が、細かく作曲者によって指定されている(但し音色ははっきり指定出来ない)。それでもなお、同じ楽譜を弾いても、演奏家によって、驚くほど解釈の違いがある。

 小説の音読は、音声面での作者の指定は一切ないから、一層、俳優さん・声優さんの裁量に委ねられる。

 だから、本当は、クラシック音楽のCDのように、同じ「坊ちゃん」でも、色々な人が朗読したものが、手にはいるようになったら、かなり面白いと思う。

 そこまで望むのは現状、難しいけど、まあ一度、アイ文庫で「プロの朗読」を聴いてごらんになることをお奨めする。


by j6ngt | 2005-06-29 23:41 | 芸術

世界の名画をパソコンで鑑賞=仏ルーブル美術館が新サイト←いいですね。これ。

◆記事:世界の名画をパソコンで鑑賞=仏ルーブル美術館が新サイト

 

 【パリ28日時事】世界の名画を所蔵するパリのルーブル美術館が28日、新しいインターネットサイトを公開した。3万5000点以上の作品をパソコン上で鑑賞できるのが特徴となっている。

 新サイトは、従来版に比べ閲覧作品数が数十倍に増え、約1500の主要作品には解説が付くなど利用者に配慮した作りが特徴。検索エンジンで見たい作品を探したり、最新技術を使って絵画の細部の拡大や彫刻などを全方位から見ることもできる。 (時事通信) - 6月28日23時2分更新


◆コメント:こういう絵を描いたのも、人間なんですね。

 

 ルーブルのサイトは、以前から、勿論ありました。

 ルーブルのみならず、海外の美術館、博物館のサイトは、惜しげもなくコレクションをオンラインで見せてくれる。

 The British Musium(大英博物館)のサイトは日本語で丁寧なサイトマップが載っている。

 ルーブルも大英博物館も、海外旅行で寄ったことがある人は大勢いるだろうけど、覚えていないでしょ?

 大英博物館だったら、ツタンカーメンと、入り口近くのロゼッタストーンぐらいでしょ?覚えているのは。

 勿論、その国に行って、理屈や背景の知識がなくても、不朽の名画や考古学的資料を自分の目で見てみるっていうのはいいことですけど初めて行ったときは何だか良く分からない。


◆ルーブルの新しいサイト、いいですよ。

 

 Webでは詳しい解説が載っているから、海外旅行に行ったことがある人も、未だのひとも思いをはせながら、その気になれば何時間でも見ていることができます。

 ルーブルは日本語は無いけど、英語の説明はかなりある。たとえ、英語の解説が読めなくても、こういう、月並みですが、超一流のコレクションを見ると、気が休まります。

 ここが、ルーブルのホームページ(トップページ)ですね。

 そして、絵が見たかったら、Home - Collection - Curatorial Departments - Paintings - Selected Works と進めば、西洋美術史に燦然と輝く名画の数々を見ることができます。

 まあ、こういうのは、理屈抜きで。

 いや、いいんですよ。理屈(西洋美術史とか、技術的なこととか、個々の画家の生涯とかね)を知りたくなったら勿論勉強すればよいのです。

 私が申し上げたいのは、多くのひとは、西洋古典音楽とか、美術とかは、「お勉強」してからじゃないと、聴いたり、見たりしてはいけないのではないか、と、勝手に思いこんで敬遠しているので、それは、違いますよ、ということなのです。

 「この絵(音楽)は何を訴えようとしているのか」なんて考えなくてよろしい。とりあえず、見て、聴いて、いいな、と思えたら得でしょう?それでよいのです。


by j6ngt | 2005-06-29 00:35 | 芸術