◆ご祝辞御礼
もう少し早く23日のNHK教育テレビ「毎コン本選」に気が付いて、
記事をアップすれば良かったのですが、あまりに私事なので、ためらってしまいまして、申し訳ございません。
それにもかかわらず多くのかたから、コメント、メールを頂戴し、感激しております。
有難うございました。
◆コメント1:毎コン全般
以前は存在しなかったシステムで最近採用されたのは、順位とは別の「聴衆賞」です。
つまり、本選を聴きに来たお客さんが「だれが一番良かったか?」を投票する。
一番得票した演奏者には、コンクールの結果(これは専門家である審査員が決めます)とは無関係に、「聴衆賞」が与えられるのです。
感心したのは、全ての部門で「聴衆賞」を獲得した出場者が、「これが一番嬉しい」と云っていたことです。
専門家の意見が大事ではないということではありません。但し、もしもこの先プロになるとしたら、
聴いてくださるお客様は、音楽の専門的訓練を受けたことがない一般の方が大部分なのです。
「自分の演奏で、他人様を束の間でも幸せにしたい」という気持ちは、プロの演奏家になるからには、非常に大切にしなければなりません。
演奏家の責任は重いのです。
それは、「お客さんの時間を預かる」ということです。
大げさに云えば、お客さんは、一生の中の2時間なら2時間を、しかもお金を払って「演奏者に預け」ているのです。
演奏が下手だった時、お客さんが怒って、「カネ返せ!」と云ったら、それは返すことが出来ます。
しかし、「時間」は取り返しが付かない。「こんな下手な演奏を聴くぐらいだったら、どこかで美味いものを食った方が良かった」と言われても、時間は返すことが出来ません。
演奏家の責任が重い、とはそのことです。プロになる人はそれをよく分かっていなければいなければならないのです。
さすがに、毎コンの本選に残るぐらいの人々は、どの楽器(声楽もありますが)の人も、私が今書いたこと。即ち「プロの何たるか」を良く分かっている。
それが嬉しかったですね。
当たり前と言えば当たり前なのですが、最近の若い人は幼稚だから、自分のことしか考えない。
世間一般の平均と比べると、私の身内はともかく、他の方々はとても精神的に成熟していると思います。
◆コメント2:そうは云うものの、出場者の今までの苦労を思い、涙が止まりませんでした。
くどいようですが、毎コンの本選に残る、ということは並大抵のことではありません。
才能は必要ですが、才能だけで残れるものでは、絶対にない。大昔から音楽演奏に限らずあらゆる「芸事(パフォーマンス)」を志す人間の世界で言い継がれている言葉があります。
「1日(練習を)休むと自分に分かる。2日休むと仲間に分かる。3日休むとお客さんに分かる」
皆、努力しているのです。
バイオリンなら130人ぐらい受けて、本選に残れるのはわずか4人。それだって、第2次予選の日程が一日ずれていたら、全然別の顔ぶれになっていたかも知れない。
プロの演奏家への道。プロになってからの苦労は並大抵ではありません。
多くの出場者が「お客さんに聴いていただけて嬉しい」と云っていました。
そうでしょうとも。この日のために苦労してきたのです。
バイオリン入賞の中川さんは、大舞台でオーケストラ伴奏で弾けた事自体に感激して涙ぐんでいました。
ホルンは実に上手くなりました。
昔は、日本人には金管は無理ではないかと思われるほどホルンはよく音を外しました。それぐらい難しい楽器なのです。
今回の本選の1位と2位はプロです。オーケストラの仕事をしながら、コンクールの準備をした。
1位の大野さんは、非常に難しい、リヒャルトシュトラウスの「ホルン協奏曲第2番」を音を外さないだけではなく、絶えず楽器の向き、即ち身体の向きを変え、音色を変化させていました。
ホルンはベル(ラッパの先端、「朝顔」といいます。あの大きく広がった、開口部です)がトランペットやトロンボーンと異なり、
普通に構えた状態で、前を向いていないのです。ベルの向きを変えることにより、曲想により色々な工夫が可能となるのです。
声楽で1位を獲得した志田雄啓氏は、あまりにも有名なプッチーニのオペラ「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」を歌いました。
テノール歌手でこの歌を歌いたくない人はいないでしょう。誰もがステージ上でこのアリアを歌うことを夢に描くことでしょう。
この歌は本当にイタリア語が一言も分からなくても、聴き手の胸が苦しくなるほど、気持ちが高ぶります。
「これぞ、テノール。これぞ、オペラ」という曲です。
志田さんはすでに演奏歴があるわけですが、声楽の本選会に来てくれたお客さんを前にクライマックスの最高音を歌いながら、
「この時のために、自分は歌を勉強してきたのだ」と感無量だったのではないでしょうか。
歌い終わった後、涙を堪えている姿に、私が泣けてしまいました。
毎年のことですが、第74回日本音楽コンクール。予選で落ちた人も含めて、全員の研鑽と栄誉を讃えたいと思います。
◆コメント3:演奏者への敬意。
音楽を聴く側は、勿論お客さんなのだけれども、音楽家が幼い頃から積み重ねてきた研鑽に対する敬意を忘れてはいけないと思うのです。
分からないことを分かったように云うのはよくありません。
作曲家の故・芥川也寸志氏は作曲以外に著作が多いですが、さすが龍之介のご令息だけのことはあり、いずれも非常に読みやすい名文です。
数多い著作の中に次のような一節があります。手もとに本が無いので要旨を書きます。
「楽器を演奏なさること。それがハーモニカであれ、ウクレレであれ、ヴァイオリンであれ、ピアノであれ、そして演奏が玄人はだしであれ、たとえ、お話にならないぐらいヘタクソであれ、楽器を演奏なさることこそ、音楽を理解するための近道です」
もちろん、世の中には生まれついた時代や、環境があるから、全ての人が楽器を習うわけにはいかない。そんなことは芥川さんも理解しているのです。
但し、確かに楽器を習ってみると、楽器を人に聴かせることが出来るぐらいまで上手くなる、ということが、如何に難しいかがわかりますよ、という意味です。
私は学生時代から下手なトランペット吹きですが、大人になってからどうしてもオーケストラの心臓部たる弦楽器、
しかも、楽器の中の楽器、バイオリンを習ってみたくなり、26歳から習い始めました。
最初は鈴木・メソッドに通いました。鈴木メソッドの最初の曲は「キラキラ星変奏曲」というのですが、まず、音を出すまでが大変です。
バイオリンは構え方がなかなか決まらないのです。
プロは子供の頃から毎日やっているので、曲が始まる寸前に、ごく自然にスッと構えますが、初めてのものには、腹が立つほど難しい。
基本的にバイオリンは肩に「置く」のであり、それを多少アゴで押さえるだけなのですが、初心者は例外なく、アゴ、つまりクビにもの凄く無駄な力を入れるのです。
身体の一カ所でも無駄な力が入っていると、全体に影響が出て、音を出す(弓を持つ)右手が自由に動かず、弦を押さえる左腕の角度が不自然になります。
それを何とかクリアして初めて音を出すのです。
ただ、バイオリンの初心者が出す音をよく「のこぎりの目立て」といい、聴くに堪えない雑音になるようにいいますが、あれは、嘘でした。
余程勘が悪くなければ、弓を早く動かしていないときに、弓の圧力を高めれば、のこぎりの目立てになることは、感覚的にすぐに分かります。
しかし、まだまだ、難関が山積みです。
バイオリン奏者がまるで自然に行っていること。「弓を直線的に上下運動させること」が至難の業です。
あれは、何も滑り止めなどないのです。
初心者は、弓と弦が接する位置が駒よりになったり、逆に指板(「しばん」と読みます。弦を押さえる黒い部分です)の方に流れます。
バイオリニストの美しいボーイング(弓使い)は練習で獲得したものなのです。
それに左手。ご存じの通り、オーケストラの弦楽器(バイオリン・ビオラ・チェロ・コントラバス)の指板にはギターのようなフレット(弦を区切る出っ張り)がありません。
ただひたすら繰り返し繰り返し練習して、正しい音程が出る位置に指をもっていけるようにするのです。
それは、もう、気の遠くなるほど大変なことです。1ミリ、押さえる場所がずれたら、完全に間違った音程であることが、ばれます。
それ以前に僅かな音程の狂いでも認識出来る「耳」が無いとお話になりません。弦楽器はそういうわけで実に難しいことがわかりました。
それが分かっただけでも、私には収穫でした。
みなさんは、何もバイオリンを習わなくてもいいですが、想像してみてください。
例えば、学校で習ったリコーダー。あれは、立派な独奏楽器でテレマンやヘンデルがソナタを書いているのですが、それはここでは、割愛します。
貴方があのリコーダーを「ステージ上で」、「スポットライトを浴び」、「1000人のお客さんの前で」、「ただ一人で」、
「ドーレーミーファーソーラーシードー」とそれだけでいいです。吹くことになった、と想像してみてください。
曲を吹くのではありません。1オクターブの音階を吹くだけです。
それでも、大抵の人は、絶対に間違えるか、音がひっくり返るか、音が震えることでしょう。
プロはその1,000倍も難しいことを毎回、演っているのです。
このような経験・または想像をしてみると、「○○管弦楽団は弦が甘い(弦楽器セクションが上手くない、という意味です)とか、
「管が鳴っていない」とか分かったようなことを、簡単に口に出来なくなります。
無論、プロにも上手い下手はありますし、お客さんはお客さんですから感想を述べて構わないのは当然ですが、
ときどき立ち止まって、今、私が書いたようななことを思い出すのも必要だと思います。
「『ハ長調とト長調』の違いも分からないのに、知ったかぶりをするのはあまり感心できない」と云っても、特に傲慢な思想だとは思いません。
◆コメント4:バイオリン。
昨日の教育テレビはは毎コンのダイジェスト版でしたが、NHKBS2では12月中旬から、本選会全部門・全員の演奏を全曲(カット無しで)放送していたのです。
しかし、これはあまりにもマニアックですので、書きませんでした。
バイオリンの本選はシベリウスかバルトークの協奏曲でした。優勝した芸大の男性は、無茶苦茶上手いですね。もうプロですね。
バイオリンというのは不思議なもので、現代科学の粋をもってしても、300年も昔にイタリアの天才バイオリン職人が作った、
ストラディバリウスや、ガルネリウス、ガダニーニ、アマティと同じぐらい良い音がする楽器を作ることが出来ないのです。
バイオリンの音というのは、人の心を惑わす、妖しさを持っています。
官能性というと誤解を招くかも知れませんが、間違いではない。
どの楽器の演奏者、学生も「美しい」音を目指すのは当然ですが、バイオリンはこの「妖しさ」が出てこないとダメだと思います。
◆コメント5:シベリウスはバイオリニストでした。
シベリウスは「フィンランディア」(あまりに有名ですがやはり名曲だと思います。但しトランペット吹きの私は出来れば避けたい。あの「タッタ・タカタカ・タ・タッタ」というフレーズはテンポが中途半端でタンギングしにくいのです。私が下手な所為ですけど)で有名ですが、本当はバイオリニストになりたかったのです。
しかし、致命的な欠点がありました。シベリウスはひどい「アガリ症」だったのです。
練習の時には上手いのですが、試験の時(音楽の学生の試験とは即ち実技=演奏です)とか、リサイタルとか、「ここ一番」というときに上手く弾けない。
これでは、演奏家にはなれません。
この「あがり症」を克服できずに演奏者になることを断念した人が、一体、古今東西、どれほどいることでしょう
(だからと言って、楽器を続ける資格が無い、などというつもりは毛頭ありません。趣味で楽しめば良いのです)。
それでシベリウスは作曲家になったのですが、言うまでもないことながら、バイオリニストとしてダメな人が、必ずしも作曲の才能があるわけではない。
演奏が上手い人でも作曲となると別です。演奏することと、作曲するのとは全く別の才能です。どちらの才能も世の中には必要です。
幸い、シベリウスには作曲に関して天賦の才が備わっていたのですね。
バイオリニストが作曲するとバイオリン曲がどうしても多くなりますが(パガニーニとかね)、シベリウスの場合は表現手段として「オーケストラ」を選びました。
勿論、他の分野もありますけど、彼の名作の殆どはオーケストラが関係する作品です。
交響曲は特に第2番が有名です。
◆コメント6:シベリウスのバイオリン協奏曲、その他バイオリンと言えばこれ、という名盤。
教科書風に書くと、3大バイオリン協奏曲はベートーベン・メンデルスゾーン・ブラームスです。
この中でブラームスは名曲には違いないけれども、なにしろクソ真面目な人なので、音楽がちょっと重苦しいです。
一度魅力が分かればいいのですが、最初はチャイコフスキーのバイオリン協奏曲の方が取っつきやすいです。
「大作曲家」の殆ど全てがバイオリン協奏曲を書いています。
やはりバイオリンは、「人の心を惑わす」つまり「この楽器で良い音楽を書いてみたい」という、作曲家の創作意欲を刺激する「妖しさ」を持っているのだと思います。
私の親戚の娘が弾いた「シベリウスのバイオリン協奏曲」は3大バイオリン協奏曲から見ると少し傍流ということになりますが、私は非常な名曲だと思います。
聴いていると、不思議な「懐かしさ」「郷愁」のような感情がこみ上げてきます。
ごく一般的にいって、北欧の作曲家の作品にはそういう面がある。
但し、シベリウスの協奏曲は、技術的には大変難しいそうです。
自分がヴァイオリニストで、なまじ分かるので、難しく書いちゃったのですね。
◆コメント7:ハイフェッツ
さて、シベリウスのバイオリン協奏曲のCDは数え切れないほどあります。
パールマン、諏訪内晶子さん、五嶋みどりさん、変人というか個性派のクレーメル。
それぞれ良いのですが、やはりダントツの名人による名演はバイオリンの場合、ハイフェッツです。
もう一人オイストラフという人がいますが、ここではハイフェッツに絞ります。
ハイフェッツによるシベリウス:VN協奏曲はお薦めです。
お薦めなんですが、他にプロコフィエフとか録れてありまして、ちょっと退屈してくる可能性があるのです。
しかし、バイオリンでハイフェッツといったら、いまだに神様なのです。これこそ百年に一人の天才です。
本当のバイオリンってのはこういうもんだ!というCDを御紹介します。
小品集。ツィゴイネルワイゼン~ヴィルトゥオーゾ・ヴァイオリンです。
ツィゴイネルワイゼンを弾く、と言うだけなら、日本人だって、毎コンに出るような子たちは、小学生の時に弾けています。
それぐらい日本のレベルは高いのです。
しかし、弾けばいいってものじゃない。
ツィゴイネルワイゼンはとかく「バイオリニストがテクニックを見せびらかすためだけの曲」「クラシック入門用ポピュラー名曲」の扱いを受けます。
テクニックだけ達者だけど、中身のない、音楽性の無いバイオリン弾きが演奏すると、確かにそうなります。
ハイフェッツのすごいのは、もの凄いテクニックと、音楽性・芸術性が共存しているところです。
だからこそ、とっくの昔に亡くなったのにいまだに、皆が聴くのです。
シベリウスの協奏曲はさておき、この小品集は永遠の名盤です。お薦めです。